データの統合・連携がもたらすデジタルヘルスケア – 第1回:先駆者のDNAを受け継ぐ医療管理機関マーシー・ヘルスケア・システムの挑戦


SAPブログの読者の皆様は、SAPが世界のがん研究機関と連携し、ゲノム/プロテオミクスの研究を加速させていることを既にご存知のことと思います。SAP HANAのヘルスケア分野での活用は、研究の領域だけではなく、既に治療や健康管理の領域でも始まっています。本連載では、より患者に近いところで既に始まっているデジタルヘルスケアの好例を、3回にわたってご紹介します。第1回の今回は、データの一元管理およびその最大活用を通じて、患者の満足の向上と事業面での成功を両立させたマーシー・ヘルスケア・システムのご紹介です。

1

アメリカの医療管理機関マーシー・ヘルスケア・システムのルーツはアイルランド。1827年、思いがけず莫大な遺産を相続したアイルランド人女性、キャサリン・マコーリーによって、ホームレスの女性や子供たちに教育を施す施設、「慈悲の家(House of Mercy)」がダブリンに開かれ、病気を患った人々を見舞う「慈悲の姉妹(Sisters of Mercy)」と呼ばれる女性たちのグループが生まれました。Sisters of Mercyの活動は各国に広がり、アメリカではマーシー・ヘルスケア・システム(以下マーシー)と呼ばれる医療管理機関として設立されました。

今日のマーシーは、アーカンソー、カンザス、ミズーリ、オクラホマの4州で40病院の運営、40,000名のCo-workerと呼ばれる雇用を創出、2,000名のかかりつけ医(プライマリーケアドクター)と専門医、5,100名の医療スタッフが所属し、年間約250万人もの患者の治療にあたっている組織です。先駆者キャサリン・マコーリーのDNAを受け継いだ組織は、現代でもさまざまな先進的な試みを行っていますが、ここでは特に、臨床情報と経営情報を統合することによって創出された価値について紹介します。

通常、患者がドクターの元を訪れるとき、その都度問診票の個々の項目を埋めることを求められます。 問診票の項目には、患者本人だけではなく、家族の病歴に関するものが含まれます。これらの情報はドクターが正確な診断を下すために極めて重要ですが、多くの患者にとって、全て記憶し記載することはかなり難しく、しかもこの手書きによる問診票の都度作成は手間がかかり非効率であるうえに、患者の記憶頼みであるゆえに深刻な間違いを誘発するプロセスと言わざるを得ません。

そこでマーシーでは、オバマ大統領による医療保険制度改革施行よりもはるか前にEpic Systemsの電子カルテ記録システムを導入し、2008年までに全患者の臨床データの格納を完了していました。

もちろん今でもマーシーの患者はドクターのオフィスを訪ねるたびにいくつかの質問に答える必要はあります。しかしそれらは直近の健康状態における変化、例えばアレルギーや喫煙に関する質問のみで、従来の問診票の大部分、なかなか正確に覚えていられない情報は既に電子化され、いつでも活用できるようになっています。

データアナリティクスを治療の現場に

マーシーの電子カルテ記録は、単に問診票作成の効率化のためだけに使われている訳ではありません。彼らはまず、電子カルテ記録システムとSAP BusinessObjects business intelligence (BI) suiteを統合し、それまで独立したシステムに格納されていた電子カルテ記録を直接医療従事者やスタッフが参照できるようにしました。これにより作業が効率化され、かつての手書きによる情報連携・共有時に発生していたヒューマンエラーが解消されました。

図1次に彼らは、医療に関わるデータをより統合することによるサービスの高度化とコストの削減を狙い、Daily Visit Plannerというツールを開発しました。これは電子カルテ記録と高齢者向け医療保険Medicareが提供する治療分析情報を統合し、治療の最前線で活用するものです。BIダッシュボードは医療従事者やスタッフができるだけ患者のケアに専念できるよう、スワイプすることなく1画面で収まるように作られています。

Daily Visit Plannerは、その日の患者の外来受付予定を元に、過去の病歴と治療情報を予めマッチングさせ、必要な注意事項を医師に通知するしくみです。患者は必ずしもひとつの病気にだけ罹患しているとは限らず、何らかの慢性疾患の治療中、あるいは全快していてもその病歴を考慮する必要があります。Daily Visit Planner導入によりマーシーでは1年間で100名分のフルタイム労働時間に相当する作業工数が短縮され、乳がん、大腸がん、糖尿病の予防のための検診・検査におけるパフォーマンスが10%向上しました。

さらに前へ

SAP BusinessObjects BI suiteによる成果を挙げた後、マーシーは糖尿病とがん領域の分析にSAP HANA platformを導入。電子カルテ記録とMedicareデータに加えて、政府統計データも含め、糖尿病やがん患者に対して異なる治療が施されたケースの比較分析を行いました。医療という特異な分野のデータ統合と分析は非常にチャレンジングだったようですが、結果として驚くべきパフォーマンスを出し、かつては2週間分のデータ分析に要していた時間で8年分のデータの分析が可能になったとのこと(実に約200倍!)。

新システムは治療の最前線でも活用されています。マーシーのオペ室では、執刀医は多面的な分析を加えた膨大な情報を踏まえた上で、最適な処置を選ぶことができるのです。もちろん毎回の処置の結果も経営情報、技術情報として蓄積され、わかりやすいUIによって関係者間で共有されます。この処理が一元的に行われ余計な作業ステップが排除されることが、結果的にマーシーとその患者にとっての費用削減につながりました。ちなみに、SAP HANA platform導入初年度、分析により人工膝関節置換術におけるある不要なプロセスを排除されたことによる年間1.2Mドル以上の費用削減効果が、SAP HANA Platform導入の原資になったそうです。

もしも日本であれば・・・

マーシーでは、病を圧して通院する患者の負担を軽減し、関係者間の連携ミスをなくし、ドクターは膨大な情報の中から迅速に最適な方法を探し、患者に治療を施すことができました。しかし決してテクノロジーが医師にとって代わることはなく、むしろデータの一元管理がもたらす作業負荷の軽減によって医療従事者が患者に触れる時間が増え、さらに不要な工数削減によって医療費が削減され患者の満足度が高まったことが、事業面でも大きな成功をもたらしたと考えられます。ちなみにMercyのホームページによれば、収益が25年間で33百万ドルから13億ドルに成長したとのこと。経営情報の高度化がもたらす効果は、もはや企業のみならず医療機関でも生まれています。

もちろん、アメリカと日本では医療保険制度が全く異なるので、マーシーの事例をそのまま日本の医療機関に適用することは困難かもしれません。しかし、世界最速で高齢化社会に向かう日本も、膨れ上がる医療費の問題を抱えていることは周知の事実です。また、この問題を解決していくにあたり、日本の場合は、医療機関単位よりも自治体単位での取り組みの方が効果的に思います。ちなみに今年、厚生労働省は2018年4月に国民健康保険の運営を市町村から都道府県に移す方針を固めました。赤字に苦しむ国保の財政を立て直すためです。

2014年8月に厚生労働省が平成24年度の医療費の地域差分析を公表しています。以下は分析資料からの抜粋の都道府県別の医療費マップです。暖色が濃いほど医療費が高額であることを示しています。

4

この分析マップを見てまず思うことはふたつです。

ひとつには、首都圏よりも地方の方が医療費が高額で、ご高齢の方の割合が大きいことが理由のひとつと考えられますが、それ以外にどうも各道府県固有の理由がありそうということ。ふたつめは、厚生労働省は分析を2年前のデータで行っており、おそらく分析よりも収集に莫大な工数がかかっているのではないかということです。

おりしも来年、2016年からいよいよマイナンバー制度が施行され、国民ひとりひとりの医療費はそのマイナンバーで集計することが可能になります。都道府県毎の医療費データの集計・分析に要する工数が今よりも軽減されることで、対策を講じアクションを起こし、その結果を把握するまでのリードタイムが縮まるはず。これからも続くマーシーの挑戦が我々日本の参考になることを願い、引き続き彼らをウォッチしていきたいと思っています。

本稿は公開情報に基づき筆者が構成したもので、マーシー・ヘルスケア・システムのレビューを受けたものではありません。

出典:

Mercy Healthcare System ホームページ
https://mercyhealthsystem.org/

Centers for Medicare & Medicaid Services ホームページ
https://www.cms.gov/

Mercy Runs SAP HANA to Improve Patient Care
https://blogs.saphana.com/2015/08/05/mercy-runs-sap-hana-improve-patient-care/

Mercy Health on SAP HANA(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=ADToAE9lv7s

平成24年度医療費の地域差分析 平成26年(2014年)8月厚生労働省保険局調査課http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12400000-Hokenkyoku/hoken_01a.pdf