シリコンバレー進出25年のSAPが戦略的に張るスタートアップ支援プログラムの全容


デジタルを活用した新時代の寵児として生まれたApple、Google、Facebookの取り組みは革新的で目覚ましいが、既存事業のしがらみにあえぐ日本企業の変革の参考にはならない。

上記は、多くの日本企業がシリコンバレー視察で実感するジレンマです。一方、SAPシリコンバレーには年間1,400名を超える日本企業のリーダーが訪れ、実事業につながるヒントを得て帰っていきます。彼らは、ドイツ出身の老舗企業のシリコンバレー拠点に何を求めるのでしょうか。本稿では、多くの日本企業を惹きつけてやまないSAPシリコンバレーの真髄と、そこで戦略的に行われるスタートアップ支援プログラムの全容に迫ります。

SAPシリコンバレーが多様に展開するスタートアップ支援プログラムの一覧(出典:SAP)

SAPシリコンバレーが多様に展開するスタートアップ支援プログラムの一覧(出典:SAP)

日本と産業構造の近しいドイツの老舗企業に、日本企業のイノベーションの在り方を重ねる

ドイツは日本と近しい産業構造を持つ国です。4兆ドル近いGDPはもとより、その30%が自動車などの第二次産業に集中しています。労働組合が強い企業運営のパワーバランスも酷似しています。つまり、事業変革を推進する上で、古くから働く従業員や既存の重たい事業が足かせになる構造があるということです。

SAPは1972年にドイツで創業した老舗デジタル企業です。1992年にシリコンバレーに進出して以来、25年もの間、シリコンバレーで事業運営を行ってきました。今では4,000人を抱える一大拠点となり、シリコンバレーにおける最大の外資系企業と言われています。

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SAPはシリコンバレーで最大の外資系企業といわれる(出典:SAP)

SAPは近年、シリコンバレーオフィスの位置づけを大幅に見直し、自社変革の担い手として新規事業の研究開発の全権を寄せてきました。この取り組みが功を奏し、2010年には9割超を占めていた既存事業(ERP – 企業のバックオフィス業務を効率化するための経営管理システム)にとって替わる新規事業を創出。今では年間売上の6割を新規事業が担うという、大幅なポートフォリオの見直しを行っています。特筆すべきは、ドイツの産業構造の中に生まれた創業40年超の老舗企業が、売上高、営業利益、従業員数、時価総額、いずれの経営指標も2倍を超える成長を、6年間という短期に実現したということです。

SAPは6年間で事業のポートフォリオを6割見直す大改革に成功した(出典:SAP)

SAPは6年間で事業のポートフォリオを6割見直す大改革に成功した(出典:SAP)

発想の多様性を保つためのスタートアップとのオープンイノベーションの仕組み

イノベーションを起こす上で重要な一丁目一番地は多様性だと言われます。SAPがドイツから離れてイノベーション拠点をシリコンバレーに設立したのも、この観点にヒントがあります。既存事業のしがらみを避け、多様なアイデアによる事業創出を促すために、物理的なロケーション、バーチャルな意思決定プロセスや指揮系統、いずれも既存事業からは分断された独立組織としてSAPシリコンバレーの新規事業推進は生まれました。

ところで、SAPがシリコンバレーで学んだ重要な企業文化の一つがデザイン思考です。2000年代初頭にデザインコンサルファームのIDEOが提唱したこの発想は、デザイナーの発想でイノベーションを推進するフレームワークとされ、シリコンバレーに根付く原理とされています。本稿では詳細を割愛しますが、SAPは全社員にこの発想を必修させ、自社の中長期戦略の定義、製品開発プロセス、ならびに顧客の問題解決のためのコンサルティングなど、グローバルで幅広く活用を進めています。

Human Desirabilityから発想を広げるデザイン思考のフレームワーク(出典:SAP)

Human Desirabilityから発想を広げるデザイン思考のフレームワーク(出典:SAP)

こうした多様なアイデアを許容するマインドセットだけでなく、複層的にイノベーションが継続して起こる仕組みを導入したことが、SAPシリコンバレーの成功の秘訣だったと振り返ることができます。そして、その中で重要な位置づけを占めているのが、本稿で紹介するスタートアップとのオープンイノベーションを促進するための数々の支援プログラムということです。

本稿では、スタートアップのスピードやバイタリティも多様性の一環として取り込み、オープンイノベーションを推進するための仕組みを詳述していきます。ポイントは、求める成果や規模の異なるプログラムを多様に展開し、総じてイノベーション創出のための門戸を広く開けていることにあります。

アウトプットや規模の異なる支援プログラムを複層的に展開(出典:SAP)

アウトプットや規模の異なる支援プログラムを複層的に展開(出典:SAP)

Funding/Acceleration:VCとしてファンドを持ちながら、スタートアップの事業運営の支援を行う

まずはスタートアップの事業運営そのものを支援し、時には資金面の援助を行っているプログラムを2つ紹介します。

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SAP.ioは前回のポストでもご紹介した、コーポレートファンド 兼 アクセラレーターです。今回ご紹介するプログラムの中では2016年に誕生した最後発ですが、若いスタートアップが生まれてExitするまでの一連の支援プロセスを体系的に持ち、最も深く支援を行います。

その分、支援するスタートアップは少数精鋭となります。現在、世界4都市で事業を展開しており、サンフランシスコでは「女性CEO」、ニューヨークでは「IoT」、ベルリンでは「機械学習」、テルアビブでは「Deep Tech」など、都市の特性ごとにスタートアップを絞った支援を行っています。

アーリーステージのスタートアップへの6-8週間のテクノロジーインキュベーションから始まり、見込みのある企業には35百万ドルのファンドから資本を投入し、投資家へのデューデリジェンス説明などの支援も行います。Exitパスも多様で、通常のIPO、M&Aに加え、SAP製品への統合、SAPによる買収、SAPとの共同販売など、スタートアップに合わせた出口を提供できることが特徴です。

多くのメンバーが投資、事業運営経験があり、起業家の目線でハイレベルなアドバイスを行うプロフェッショナル集団で、SAPの営業拠点とは独立した組織、オフィス運営を行っています。

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一方、Sapphire Venturesは財務リターンに照準を当てたコーポレートベンチャーキャピタルです。2011年に設立以降、44社のExitを手掛けており、この中にはbox、fitbit、LinkedIn、Squareなどの有名企業が含まれています。

SAPとは独立した法人(子会社)となっており、敢えて戦略的なシナジーは求めず、財務リターンの見込めるスタートアップへの投資に集中しています。24億ドルもの豊富な資金を運用し、レイトステージの起業を中心とした投資実績は、シリコンバレーのベンチャーキャピタル随一です。現に、投資した企業のExitレートは20%を誇り、これは比類なき実績です。

こちらも全米トップ大学のMBAを修了したエリートの投資家集団であり、SAPとは独立した人事体系と採用基準をもって運営を行っています。

Technology Incubation:SAP製品を活用した技術開発のメンター支援を行う

次に紹介する2つのプログラムは、スタートアップの技術面、特にSAP製品の活用や親和性の担保の側面での支援にフォーカスしているものです。

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Startup FocusはSAPが提供するプログラムの中で最大で、2012年の発足以降、59カ国5,900社超のスタートアップと連携しています。参加企業はSAPのテクノロジーを利用しているか、もしくはSAPソリューションとの連携が重要な要素である企業に限定され、段階的に、HANAやS/4HANA、SaaSといったSAPテクノロジーへの無償アクセス、この活用のためのメンター支援、SAP顧客へのアクセス、共同販売、といった支援を受けることができます。

全てSAP顧客とStartup Focusプログラム、SAP自身の3社の互助関係のもとに成立しており、スタートアップは無償でプログラムに加わることができます。ただし、SAPテクノロジーとの親和性やスタートアップの社会的意義、顧客ニーズへの適合性などが精査され、今までに205のスタートアップがこのプログラムを卒業しています。これらはSAPを通して購入することができる再販ソリューションとなっています。

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IoT Startup Acceleratorは前述のStartup Focusから2012年に独立したプログラムです。Startup Focusが広く浅くスタートアップのインキュベーションを行うのに対し、IoT Startup AcceleratorはSAP Leonardoポートフォリオの補完のために活動を行うプログラムです。

従来のERP事業(System of Record)に加え、SAPは2017年1月にSAP Leonardoポートフォリオをローンチしました。これはAI、IoT事業(System of Innovation)にフォーカスしたプロダクト、サービスの統合ブランドです。インサイトをもって企業のインテリジェンスを高める本事業と、従来のビジネスプロセスが高度に連携する世界の実現が、SAPの事業ミッションと言えます。

SAPの事業戦略におけるSAP Leonardoの位置づけ(出典:SAP)

SAPの事業戦略におけるSAP Leonardoの位置づけ(出典:SAP)

そして、IoT Startup Acceleratorはまさにこれらの両輪経営に課題を持つ顧客のために、SAPのソリューションを補完するエコシステムの一端として生まれました。現在は200社ほどのスタートアップが参画しており、中にはSAPが従来持ち合わせていないハードウェア、ネットワークなどのインフラを提供する企業や、異なるソリューション間の統合を行うソフトウェアを提供する企業などが見て取れます。

これらの参加企業に対し、SAP Leonardoのブランドマネージャーがアサインされ、スタートアップの技術面でのインキュベーションを行うプログラムが運営されています。また、SAP Leonardoによる事業変革が期待される顧客への共同提案も深く高いレベルで行われるプログラムです。

Community:あらゆるスタートアップ支援の窓口として浅く広く機能する

最後に紹介するのが、シリコンバレーの広大なスタートアップエコシステムに寄り添いつつ、最も敷居の低い接点として機能するプログラムです。

hanahaus

HanaHausはSAPがシリコンバレーの中心地に運営するカフェ 兼 コワーキングスペースです。1920年代の古い映画館を改装したスペースに、Bluebottle Coffeeと共同出店をしており、地域の起業家、投資家、ハイテク企業などのコミュニティを惹きつける空間として成功しています。SAPのロゴは敢えて隠されているのも、地域に溶け込む一つの演出です。

カフェの奥には有料のコワーキングスペースを設けています。3ドル/時間の非常に安価な価格設定を取っており、ビジネスに素養のあるメンバーが集まるよう、コミュニティ参加に緩やかな敷居を設けつつ、近隣の急激な地価上昇に悩む若いスタートアップの救いの場として機能しています。2016年、2017年の2年連続でSan Francisco Magazine誌が選ぶ「The Best Co-Working Space in the Bay Area」に輝きました。

HanaHausは2015年に発足しました。SAPの創業者の一人、Hasso Plattner(現会長)がシリコンバレーに根付くスタートアップが息づき、発展する場を作りたい、という想いに始まっています。近代の保険引受市場の祖と言われる18世紀イギリスの「Lloyd’s Coffee House」を参考にしたコミュニティ空間です。今では毎日1,700人もの地域の人々が訪れるほどの活気があります。

 

SAPの創業者兼会長のHasso Plattnerによる手書きの構想スケッチ(出典:SAP)

SAPの創業者兼会長のHasso Plattnerによる手書きの構想スケッチ(出典:SAP)

SAPのエンジニアが常駐し、スタートアップや投資家とのコミュニケーションを図っています。必ずしもSAPコミュニティへの勧誘ばかりが目的ではありませんが、上述した他のスタートアップ支援プログラムへの窓口としても十分な機能を果たしています。

HanaHaus全景。多様なメンバーが様々に交わり、コミュニティを形成している(出典:SAP)

HanaHaus全景。多様なメンバーが様々に交わり、コミュニティを形成している(出典:SAP)

HanaHaus
456 University Ave, Palo Alto CA 94301
+1 (650) 326-1263
http://www.hanahaus.com/

今こそ、既存事業の安定的な運営と、バイタリティあふれる新規事業創成の両輪経営を

45年間ドイツでビジネスを行い、ドイツ企業最大の時価総額を持つ企業になったSAPは、新規事業にシリコンバレーのスタートアップのバイタリティを取り込む仕組みを複層的に築き上げました。こうすることで、既存事業のしがらみを離れ、多様な発想をもとにイノベーションが再帰的に起こり続けることが期待できるからです。

年間1,400名の日本企業のリーダーがSAPシリコンバレーに求める答えはここにあります。

多くの顧客を抱える既存事業を継続的に運営しながら、スタートアップ文化を取り入れた新規事業創成を両輪で回すこと。様々な業界で従来の競争関係が崩れ、新たな危機が浮き彫りになっている現代にこそ、これは全ての企業が満たすべき競争上の必要条件なのではないでしょうか。