インダストリー4.0は、ドイツの対外競争力を高めるため、に非ず
作成者:古澤 昌宏 投稿日:2018年9月21日
インダストリー4.0は「なんのために」あるいは「何を目的として」策定され、実行に移されているのか、が本稿の主題です。
インダストリー4.0の一般的な理解
ドイツ技術科学アカデミー (通称acatech) のワーキンググループによって最終報告書 “Recommendations for implementing the strategic initiative INDUSTRIE 4.0” が公開されたのが2013年4月でした。ちなみに、その報告書は野村総合研究所 主席研究員の藤野直明さんの監修の下、日本語訳が作成され、本家acatechのサイトから読むことができます。素晴らしいことだと思います。
この最終報告書や、その後に出版・開示された解説によると、インダストリー4.0は
- ドイツ政府が推進する、
- 製造業のデジタル化・コンピュータ化を目指す、
- 国家的戦略プロジェクト
であり、その推進に向けて
- IoTやAIを用いる
- サイバーフィジカルシステム (CPS) を導入してスマートファクトリーを実現する
- 消費者に合わせた一品一様の商品づくりであるマスカスタマイゼーションを実現する
ことが根幹として重要であり、
- 生産工程や流通工程のデジタル化により、自動化、バーチャル化を高めることで、これらにかかるコストを極小化し、生産性を向上させる
ことが目的とされていることが多いように思います。
すなわち、ドイツの対外競争力を高める国家戦略なのだ、という解釈です。
ところが、先に掲げた最終報告書には、さりげなく次のような文言が挿入されています(NRI版 日本語訳からの引用)。
さらに、Industrie 4.0は、今日世界が直面している挑戦的な課題に取組み、解決策をもたらすことができると考えられる。たとえば資源とエネルギーの効率性、都市における生産、高齢化への対応などの挑戦的な課題である。Industrie 4.0によって、継続的な資源生産性と資源効率性の拡大が、全価値ネットワークを通じて実現できる。
これまであまり注目されてこなかった「今日世界が直面している挑戦的な課題」とはどのようなものであり、インダストリー4.0による解決策とはどのようなものであるか見ていきましょう。
インダストリー4.0の真の目的は
本年8月頭に、acatechの前CEO (5月に退任) であり、インダストリー4.0(以下I40)をリードしてこられたヘニング・カガーマン教授をお迎えして、弊社でSAP NOWというイベントを実施しました。その基調講演では「I40の目的は経済危機を経験したドイツの競争力向上にあった」と語っています。
このイベントに先立って、ものづくり企業の経営に携わる皆様をお迎えして少人数の討論会を企画・開催しました。その場でカガーマン教授が語った「I40を立案・推進した真の目的」の内容が非常に深く、考えさせられるものでしたので、下記にその内容を紹介したいと思います。
ヘニング・カガーマン教授の講演内容
時系列としてはI40の提唱時期より後になりますが、このような「そもそも何が課題なのか」という議論が国家という単位を越えて行われるようになった、という事実がまず提示されました。次に、その議論に対する回答としての「循環型経済」とはどういう概念か、という解説がありました。
- 2015年頃、EUにおいて、今後20~30年後を見据えて、地球が住みやすい場所として存在し続けるために、ビジネス界は何をしなければならないか、という議論があった
- acatechからは「循環型経済」すなわち産業における資源の使い過ぎや、使用されずに廃棄される製品に注意を向けて、構造的な無駄を排し循環する経済の必要性を提言した
- 同時期に国連もSDGsの制定に向けて動き、人々は「一方通行型経済」から「循環型経済」への移行について再考を始めた
- 「循環型経済」のコンセプトはSDGsが目標に掲げる4~5個と密接に関連している。
- ドイツ政府はacatechに「循環型経済」への移行ロードマップ作成を委託した
- 2016年に発表された欧州の統計を見ると驚かされる。2012年現在、地球資源を必要量の1.6倍消費し、使われない製品を生み出している(クルマは2%, オフィス用途35~50%と推計)。そして平均9年でそれらは廃棄される (建物の平均耐用年数28年を包含している)。そして最も重大な課題として認識すべきは、その中から再生資源として回収されるのはたった5%という事実だ
続いて目指すべき「循環型経済」のイメージが共有されました。
- 右の図はボストンコンサルティンググループが描いたもので、%は2018年時点で、それに注意を払っている企業の割合を示している
- 44% RECYCLE / NEW INPUT
再生可能な/再生済み資源の購入 - 32% DESIGN
再生可能なデザインを採用 - 41% PRODUCE
廃棄ゼロ or 可能な限り資源を効率よく使って生産 - 12% DISTRIBUTE
できるだけ運搬せずに製品を届ける/リース/シェアリング - 42% MONITOR USE
顧客の利用状況をモニタし、製品寿命を延ばしたり、デザイン改善などに繋げる - 47% COLLECT
廃棄を減らすため、製品の回収やリサイクルを行う
カガーマン教授が最も重要だと思うのは DISTRIBUTE 。「モノを売る」から「リース」「シェアリング」などへビジネスモデルが変革しつつある点であり、また、最も実現が難しいと思うのは MONITOR USE すなわち 顧客の利用実態を直接把握 するところではないか、という個人的見解も披露されました。
- その MONITOR USE を実現させるために、ドイツでは Smart Services / Smart Products というコンセプトを掲げるに至った
- 実ユーザの利用実態を直接知り、次の世代の製品デザイン・生産・提供などに還元する仕組みを作るということだ
ここで我々SAPの関係者が思い出すのは、この領域に関する事例の数々です。このブログシリーズに登場したものを少しピックアップしてみます。
いずれも、製品の利用状況をモニタし、顧客サイトにおける利用実態を正確に把握することで次の新製品、新サービスに繋げることを企図していることがわかります。
インダストリー4.0の本意は ドイツの対外競争力を高めるため、ではない
これらを背景を理解したうえで、カガーマン教授からインダストリー4.0の真の目的を聞くことができました。
- こういった概念を実現するためにデジタル化、サイバースペースは必要
- 2011年にそれらの背景と変革の必要性をまとめあげ、第2波のデジタイゼーション、すなわち インダストリー4.0 (以下I40と表現) のコンセプトを作った
- I40はテクノロジーが先導したものではなく、社会環境が要請したものである
- 古くからある「人間中心」「データに基づいたビジネスモデル変革」「プラットフォーム経済」に再度光をあて、そこに “SmartX” “IoT” “自律型システム” などの新しい視点を加え、「シェアリング経済」がこのデジタル改革の主たる推進力となるように考えて2011年に発表したのが「第4次産業革命」の概念なのだ
- I40の本意 は ドイツの対外競争力を高めるため、ではない
- 説明してきた通り、社会の要請により、社会課題を解決するために提言してきたもの。それが経済(Economic)視点では、効率的で生産性を高めることに繋がり、環境(Environmental)視点では、3Dプリンティングなどを用いることで、エネルギーや資源消費を50%近く削減し、消費地に近い都市部で生産 “Urban Production” を実現することになった
- そして最も重要なこととして ソーシャル (Social) な変革が生まれることになった。働き方が改善され、自動運転に代表される自律システムによって人々がソーシャルに組み入れられることになり、ひいては新しい職種が生まれてきた
- その結果として、競争力が高まり、ソーシャルイノベーションが起こってきたのだ
循環型経済実現にむけて
カガーマン教授の主張は、「人類のために循環型経済を作らなければいけない」というものであり、I40はその実現に向けた手段である、というものです。特にI40は「ものづくり」企業に向けて発信した戦略であり、それを含む下記3点が、デジタル経済における競争力と生活の質を両立させるためのドイツにおけるデジタル化戦略と位置付けられ、国家戦略として着実に遂行されているとのことです。
- インダストリー4.0
生産プロセスと労働環境を再考 - スマートサービスワールド
ビジネスモデルとエコシステムを再考 - 自律システム
ソーシャル、法律、エシカル(倫理的)な関わり合いについて再考
ムダに関する問題
カガーマン教授は、我々が現在抱えている「ムダに関する問題」を列挙して、一方通行的経済から循環型経済へ移行しなければならない状況を正しく認識するよう促しています。
- GDP, 雇用, 温暖化ガスなど統計によって数値は少しずつ異なるが、資源をムダ使いしているバリューチェーンの代表は、住環境、食糧、移動。
食糧
- 生産量の20%が移動中廃棄。11%が消費者による廃棄
- 肥料の95%は、人々の身体に還元されずムダに
- 肥満者が死因の5%を占める
- 特に欧州は50%が肥満状態
- そのためにも農業のデジタル化による Precision Faming 4.0 を推進する必要がある
移動
- クルマが動いている時間はたった5%。1%が渋滞にはまっていて、1.6%は駐車場を探してうろうろしている
- 92%の時間はただ駐車場に止まっている状態。また、動いていても平均乗車人数は1.5人
- 移動そのものに貢献しているガソリンはほんのわずか。燃料の86%は、車輪に届かずに消費されてしまうのだ
- ここで自律型モビリティが実現したとする。車間距離は短くなり、駐車場は不要になり、車両の稼働率は少なくとも20%向上する。人々がモビリティサービスを活用し、シェアリングすることによって実現する新しい形だ
これらについては、このブログシリーズにある次のエントリに詳しいので、ご興味のある方は是非ご覧ください。
まとめ
カガーマン教授の講演内容および、周辺情報から、改めてI40が「なんのために」あるいは「何を目的として」策定され、実行に移されているのかをまとめてみます。
- 一方通行型経済のままでは、今後20~30年、地球が住みやすい場所として存在し続けることは難しい。我々は早期に循環型経済に移行しなければならない
- そのためには、デザイン・設計・調達・生産・配送・利用・廃棄/再利用 など、ものづくりに関係するあらゆる関係者が知恵を出して関与していかなければならない
- また、多数の関係者間での情報共有の仕組みが必須である。それがデジタルツインでやサイバーフィジカルシステムと呼ばれる概念で、それらがI40実現にむけた主要技術ともなっている
- すなわちI40は「ドイツの対外競争力を高める」ために策定されたものではなく、「今日世界が直面している挑戦的な課題に取組み、解決策をもたらすことができる」戦略として策定され、着実に実行されつつある