高齢化社会へのヒント — ギュスターブ・ルシーが取り組む個別化医療
作成者:松井 昌代 投稿日:2018年12月6日
SAP本社からもたらされるプレシジョン・メディスンに関する新しいソリューションや海外導入事例のニュースに触れるたびに、日本の状況はどうなのか、やはり国内の情報ソースで確認するようになります。ありがたいことに医療の質に関しては、現時点では諸外国、他の先進国と比べても日本のレベルが高いことをしばしば実感します。
例えばアメリカ臨床腫瘍学会のキャンサーリンクの取り組み等をご紹介する際には、国立がん研究センターのホームページが心強い情報ソースです。ちなみに最新のがん統計によれば、日本でのがん罹患率は増加していますが、主な原因は人口の高齢化で、男女ともにおおよそ60歳代から増加し、高齢になるほど高くなります。つまり、がんと高齢化問題は根っこが同じであることがわかります。 –> 国立がん研究センター 最新がん統計
少子化にともない世界最速で高齢化が進む日本において、今後も現状と同等の高品質の医療サービスが継続される保証がないことは自明であり、実際、私たちは高齢化問題に関する国レベルのトピックに日々触れていると言っても過言ではありません。しかし、がんを含む高齢者向け医療がこの先どうなるか、不安に思っている方が少なからずいらっしゃるはずです。
数値目標を掲げる意義
例えば国立がん研究センターの最新がん統計には「2006年から2008年にがんと診断された人の5年相対生存率は男女計で62.1%(男性59.1%、女性66.0%)」という記述があります。しかし統計データなので過去の数値であり今後の数値目標は載っていません。そこで厚生労働省のホームページにアクセスしてみると、発がんの恐れのある食品摂取量の削減目標や検診率向上の目標値はあっても、生存率や治癒率などの数値目標は未記載のようです(2018年11月末現在)。 –> 厚生労働省ホームページより 健康日本21(がん)現状と目標
同僚の横山浩実のブログ:データ駆動型行政—投資対効果の高い政策の実現によると、政府全体として証拠に基づく政策立案(EBPM。エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング)を推進していることから、現在はまだ数値目標定義の根拠となるデータが不足していることが理由かもしれません。
そこで、患者個々人に最適な医療サービスを提供するために膨大で多様なデータを統合して利活用し、結果として2030年までの治癒率アップの具体的な数値目標を掲げたフランスのがん治療センターの取り組みを紹介し、日本の高齢化問題対応のヒントを導出します。
ギュスターブ・ルシーのチャレンジ
フランス、パリ市内南部にあるギュスターブ・ルシーは、患者ケア、研究およびがん専門医育成に重点を置いた世界有数のがん研究機関および治療センターです。彼らの取り組みはがんとの戦いにおけるあらゆる面、人の生き方や科学、テクノロジーにおけるイノベーションをもたらしています。彼らはがん治療における大きな価値のある発見を目指して最先端の研究を展開しています。3000名以上のがん専門医が毎月1,000名規模で増えていく新たながん患者に対して、それぞれの患者に適したできる限り副作用の少ない化学療法(個別化医療)に取り組んでいます。基礎研究、臨床研究、およびこれらふたつをリンクするトランスレーショナルリサーチを含む、腫瘍学における最高品質の研究の拠点とも言えます。
さて、彼らの取り組みをご紹介するために少し時間を遡ってみましょう。
ギュスターブ・ルシーとSAPとの出会いは2015年。当時、各担当チームがそれぞれの課題に直面していました。
- 診断チーム:性別や年齢といった患者の属性データ、ゲノムデータ、治療計画、治療結果など、100万人以上のがん患者のために収集された重要なデータは情報サイロに閉じ込められたままで、診断時に医師によるアクセス困難
- 治療チーム:患者のケアについての全方位的観点が足りていない、あるいはデータベースへのアクセス方法を熟知していないという理由によって、過去に治療した患者のアウトカムからのインサイトが不足
- ケアチーム:個々の患者の診断、投与された薬、治療経過、寛解、治癒率の分析が困難
彼らは何を行い何を実現したのか
診療情報は患者に帰属するので、他の患者の治療のために有効に活用するにはまず個人が特定されないように適切な匿名化処理が必要です。そこでギュスターブ・ルシーはSAPの個別化医療ソリューションを用いてパイロットし、診療情報や研究成果等の膨大かつ多様なデータから腫瘍そのものについてのデータを解放し活用しやすくすることを目指しました。同じ部位に腫瘍ができた患者がふたりいた場合、腫瘍そのものは全く別物。しかしデータを活用することでそれぞれの患者の最適な治療計画の決定に役立つはずと考えたのです。
彼らが行ったこと:
- 30万人を超える患者からのタイプの異なる様々なデータをプラットフォーム上に統合 — 対象は電子カルテ記録、人口統計(人口あたりの患者数)、分子生物学データ、ゲノムデータ、テキストデータ、イメージデータで、元となっているのは臨床情報システム、がん登録システム、バイオバンクシステム、および医師のメモを含むテキスト文書等
- 統合したデータを元に特定の患者群のフィルタリングおよびグルーピングの実現
- SAP個別化医療ソリューションを活用した独自システムの開発 (システム名Patient Care Pathwayはギュスターブ・ルシーに帰属するため詳細は非公開だが、有害事象、入院、投与された薬、抗生物質、輸血といった情報とともに患者の治療をトラックするしくみ)
- フレキシブルな患者コホート比較やさらなる分析のためのデータエクスポート機能開発
これらによって多くのことを実現しました。
- 患者のタイプの概要を生成することでがんのタイプ別に分類し、それぞれ短期および長期ベースの患者のアウトカムの予測
- 入院、治療、投薬コストの見積もり
- 収集されたデジタルデータを活用した治験の判断支援 — どの薬を治験に移行させ、より多くの患者に参加してもらうべきかの見極め
- 個々の患者の治療履歴をグラフィカルなタイムラインで包括的に把握、医療チームはさらに詳細な情報にアクセスし患者の治療に有効活用
- 治験データを補完するリアルワールドデータを提供することで、治癒の可能性が最も高い方法の情報提供が可能となり、それに基づいて医療従事者と患者が治療方針を決定することが可能に
- 遺伝情報を始めとする正確な情報を持つことで、まだ解明されていないがんを専門医が分離特定することに寄与
“For the first time, we have an aggregation of the information for a large population and we can address treatment paths at the individual level.” (初めて、我々は多くの患者さんに対する集約した情報を得て、個々のレベルでの治療パスを選ぶことができるようになりました) – Fabien Calvo, Chief Scientist Officer, Gustave Roussy
“The inside solution is clearly going to help reverse the disease in specific subsets.”(センターの中では明らかに特定のサブセットの疾患を好転させる助けになりつつあります。) – Charles Ferte, MD, Oncologist, Gustave Roussy → 動画はこちら
今後は統合するデータタイプの拡張を計画しており、特に放射線や病理学のイメージデータの取り込みを視野に入れています。そして、一連のとりくみを通じて現在のがん治癒率55%から2030年までに75%に向上させることを目標に掲げています。目標のがん治癒率が世界的に見て高いのかどうかはともかく、数値目標を掲げることで実現に向かおうとする機運を作れることに非常に価値があると思います。
なんのためのデータ統合か
ギュスターブ・ルシーの取り組みからの最も重要な示唆は、具体的な課題を元に必要とされるであろう多様なデータを統合してそれらを活用し、根拠のある情報に基づく目標値を掲げるところまでを視野に入れていたことです。
近い将来、データ活用から得られたインサイトを元にわかりやすい数値目標が掲げられ、国民が高齢化社会を前向きに生きられるようになることを、いずれ高齢者になる国民のひとりとして心から願っていますし、何よりも、SAPの製品や知見が少しでもそのお役に立てるよう、努めてまいりたいと考えています。
※本稿は公開情報に基づき筆者が構成したもので、ギュスターブ・ルシーのレビューを受けたものではありません。
出典:ギュスターブ・ルシーの取り組みと社会への貢献に対して、SAPは今年、SAP Innovation Award 2018のSocial Hero部門の賞を贈りました。 >> SAP Innovation Award 2018 Winners
SAP個別化医療ソリューション:SAP Connected Health Platform / SAP Medical Research Insights