患者の意思に基づく個別化医療 — ドイツ産官医連携DataBoxによるがん治療の取り組み


「医療ビッグデータ活用」と言うものの・・・

Asia, Hong Kong, Hong Kong Island, City Street, Staircase,昨今デジタルヘルスケアビジネスを志向する企業や組織は非常に多く、しばしば官公庁・医療機関・大学・民間企業の方々からのお問い合わせやお引き合いをいただきます。しかし多くの「医療データを集めてビッグデータとして活用・・・」というお話には課題があることが多いと感じます。そもそもデータを集めること自体が目的となってしまっているケース、要件を集約する体制が未整備のケース、継続的なデータ収集を可能にしプラットフォームを維持しサービスを提供し続けるビジネススキームの考慮が不十分なケース、集めたデータを分析するテクノロジストが不在のケース、などなど。さらに日本の場合は電子カルテ記録のフォーマットだけでなくデータ属性すら統一されていないという根本的な課題があります。

CancerLinQの教訓 : 患者の個人情報をデータとして扱うのは医師

それらの課題を克服した例のひとつにちょうど昨年の今頃にブログでご紹介したCancerLinQの例があります。

プレシジョン・メディスン最新動向 — アメリカ臨床腫瘍学会キャンサーリンクが成し遂げたこと

しかし他の患者データを閲覧できるのは、自分の患者データをアップロードした医療従事者だけという画期的なルールを編み出したCancerLinQですら、患者の個人情報である電子カルテ記録を取り扱うのが医師である以上、患者の同意を得てデータをアップロードする作業はただでさえ多忙な医療従事者の負担になってしまうということを、実際にやってみたからこそ、その負荷の度合いがわかったのです(なおのこと200万人ものがん患者の電子カルテ記録を収集したことの実績が素晴らしいことだとも感じます)。

果たしてドイツはどう動いたか?

2016年1月、オバマ大統領の一般教書演説 — Cancer Moonshot — で国家的機運を創り出してがん患者の心を動かし、成果を上げたアメリカ臨床腫瘍学会。一方ドイツは診療データはあくまでも個人情報であり患者個人に帰属するという根本的かつ普遍的なポイントを重視した取り組みを開始しました。

2018年1月、ドイツ連邦教育研究省(BMBF)とドイツ連邦保健省(BMG)の資金提供で、Project DataBox: Digital Health Management in Patients’ Hands (プロジェクトDataBox: 患者の手の中のデジタルヘルスマネジメント)による実証実験が始まりました。

DataBoxプロジェクト概要

  • 活動拠点:ドイツがん研究センター(DKFZ
  • プロジェクトメンバー:医師、研究者およびITスペシャリスト
  • 目的:すべての患者に対してより優れた予防策を提供すること、そして病気の患者に対してより効果的な治療法を提供するための、患者を中心に据えたデータマネジメントの確立
  • 技術協力:SAPとSiemens Healthineers
  • プロジェクト期間
    • 2018/1 – 3        設計フェーズ
    • 2018/4 – 12      開発フェーズ
    • 2019/1 – 6        テストフェーズ
  • 実証実験参加者:ハイデルベルクにある国立がんセンター(NCT)の患者、および国立ネットワークゲノム医学(nNGM)内で治療を受けているケルン大学医療センターの肺癌患者

プロジェクトの最初の18ヶ月間は実証実験段階ですが、デジタルを活用したヘルスマネジメントを実現することもスコープに含まれるので、医師と患者によるパイロットのための機能を備えたプラットフォームもこの期間に開発しました。SAPとSiemens Healthineersはこれまでのデータストレージに関する詳細かつ緻密な経験を評価されて参画し、このプロジェクトで特別に設計された承認プロセスとプライバシーの概念をシステムで実現しました。さらにドイツおよびヨーロッパのセキュリティ基準に従って認定された厳格な基準の下でのデータの保存を担当します。

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患者にとっての利点

現在患者はX線またはMRIスキャンなどの以前の検査からの結果を、かかりつけもしくは新たにかかる開業医との面会の際に持参しなければなりません。 これらの文書は非常に多様で、紙からCD、そしてX線写真までさまざまです。 また、これまでの医師から次の医師に移ることは大きな労力が要り、しかもその際には患者にとって有用な論文も忘れられがちです。 DataBoxではこれらすべての文書をデジタル形式で直接利用可能とし、患者はそれを迅速かつ完全に医師に送信するために自分のスマートフォンまたはコンピュータのみを必要とする形を目指しています。 これにより、患者のセカンドオピニオンへのアクセスが容易になり、医師と治療を行う医療機関の選択における自己決定が強化されます。 重複検査の防止、薬物相互作用のリスクの早期発見、そして個々の治療法の推奨事項の迅速な実施も可能になります。

DataBoxは、医療文書には極めて機密性の高い個人データが含まれているが故に、患者がこの情報に対するすべての権利を保有することを担保し、患者自身によるデータ管理を強化するのを助けるものです。 研究プロジェクトや研究への参加に興味がある患者には適切な選択肢が知らされ、患者がデータ共有に同意するならば、担当医師は、構造化された患者情報を利用してより早く治療の選択肢を結論づけることが可能になります。 結果として、疾患の臨床経過 – 個々の患者または患者グループのいずれか – を著しく改善することが可能になります。 このようにして、各患者は将来の患者の治療に貢献することができますが、コホートのデータに基づく研究結果からも利益を得ることができます。

DataBoxは無料で使用でき、患者のプロジェクトへの参加は任意であり無条件。 特に理由も不要でいつでもオプトアウト可能です。 患者の同意を取り下げることによる将来の治療への何らの影響がないことも保証されています。 このプラットフォームはドイツおよびヨーロッパのセキュリティ基準に準拠したブラウザベースのアプリとして利用可能です。 DataBoxのおかげで、入院治療と外来治療の切り替え、セカンドオピニオンの取得、または転勤の理由で別の医師に相談する必要がなくなっても、データは失われません。

医師・研究者にとっての利点

医師はDataBoxを使用して、各患者の概要を短時間で確認できます。 特に、以前の検査や治療に関する情報は、さらなる診断、現在の治療方針、そして将来の治療のための推奨事項として決定的に重要です。患者からデータを提供されることで二重の検査を避けることができ、ヘルスケアシステム全体に付加価値をもたらします。無論、患者の同意を得て匿名化されたデータのさまざまな科学的利用や機械学習での活用も視野に入れています。

データに関する考え方

医療関連文書は非常に機密性の高い個人情報です。 このプロジェクトの基本的なアプローチは商業的なものではなく、この情報に対する権利は患者の手に委ねられています。 患者のみが自分のデータに何が起こるのかを判断し、それを科学に利用できるようにする権利を持っています。 患者は自分の個人的な要望やニーズに応じてこれらのオプションを使用することができます。患者が研究のために自身のデータを発表すれば、これは個々の場合または患者のグループ全体のために病気の経過を著しく改善することができると想定しています。DataBoxには患者に承認された人と承認された団体だけが特定のデータにアクセスすることを許されます。 前提条件は、常に患者がこれを明確に望み、都度それを確認することです。

DataBoxでもデジタル化のハードルのひとつは、データの相互運用性の欠如、言い換えれば相互に通信するシステムの能力の欠如と捉えています。この問題の解決のためにDataBoxはさまざまなシステムやフォーマットに対してオープンであることを目指し、専門家たちは「フォーマットにとらわれない」アプローチについて議論し、最初に自動インターフェースなしで単純なアップロード機能を使ってプラットフォームにさまざまな種類のドキュメントを挿入し、ほぼすべてのフォーマットをアップロードおよび保存できるようにしました。それらはプラットフォームの中で構造化されているので、特定の研究や科学的評価に使用することができます。

DataBoxの今後

当初プロジェクト期間の終了は2019年6月末を予定し、現在テストは終了しています。しかし医療のプロフェッショナルではない患者が自らの医療情報を管理するというかつてない取り組みであるが故に、プロジェクト側から、6ヶ月間の期間延長を求める公式の要請がBMBFに対して送られました。理由は倫理委員会での確認です。2020年初めから実用段階に入る予定ですが、その際には、現在はまだ設立されていない非営利団体の下で、さらなるプラットフォーム機能の拡張が続けられます。

命に関わることならば意識は変えられるはず

私はDataBoxのことを初めて知ったとき、なるほどそうきたか!と目から鱗が落ちたような気がしました。実は弊社のデジタルヘルスソリューションには元々データ共有に関する患者の同意書を医師が管理する機能が標準装備されているのですが、これだけスマホが普及し、どこか身体の不調を感じるとすぐにインターネットで調べて当たりをつけてから医療機関を受診するのが半ば当たり前になっている昨今、そもそも医療データは自分のものなのだから自分が管理すると患者が宣言することは自然な流れであり、技術的にも十分実現可能です。ただし課題はスマホやPCを苦手とする人々の意識をどう変えていくかです。一般的にスマホを使える世代は60歳を超えると急激に減少すると言われています。そこでかつてはスマホを活用した医療はリテラシーの高い若い世代を対象にしたものから着手した例も確かにありました(ご参考:ハイデルベルク大学病院で始まったプレママの心に寄り添うコネクテッド・ケア)。一方でDataBoxが対象とするがん治療については60歳を超えると増加傾向にあります。

人生100年と言われ、かつ医療費の削減も喫緊の課題である昨今の我が国において、60歳以降の世代がスマホを使いこなせないまま、100歳までの人生を国や医師や周囲の人々の負担になり続けるのを受容することでの国家的損失は想像を絶します。疾病等により介助の必要な方々を除き、ITを苦手とするのはもう終わりにして、たとえ高齢でも命やQOLを守るために苦手意識を克服することに国を挙げて取り組むべきと考えます。かつては難しいと避けられていた領域から手をつけたこのドイツのDataBoxの挑戦を心から応援し、経過と結果に注目していくつもりです。

※本稿は公開情報に基づき筆者が構成したもので、ドイツがん研究センター(DKFZ)のレビューを受けたものではありません。

出典:Project DataBox: Digital Health Management in Patients’ Hands