シェルと石油・ガス業界が目指すビジネスプロセスの「業界標準」
作成者:竹川 直樹 投稿日:2019年6月20日
今回のブログでは、ビジネスプロセスの「標準化」がついにここまで進みつつあるのか、ということについて、近年のSAPとシェル(正式にはロイヤル・ダッチ・シェル)の取り組みに触れながらお伝えしていこうと思います。
シェルの取り組みが共有された2019年のSAPPHIRE NOWの様子
その前に、「標準化」のイメージとして読者の皆様はどのようなものを挙げられるでしょうか。原始的には「長さ」や「重さ」の単位であったり、あるいは、「通信プロトコル」や「業界EDI(Electronic Data Interchange)」であったり、様々な観点で想起されるものがあると思います。ちなみにウィキペディアでは、「標準化(standardization)」について、以下のような記述をしています(2019年6月17日時点)。
工学や産業の分野では、標準化とは市場にある数々の仕様の中から「標準」あるいは「規格」とされる技術仕様を確立する過程であり、市場の競争原理を阻害することなく利益をもたらすことが期待される。(中略)例えば、ヨーロッパでは電力は230ボルト/50Hzの交流であり、携帯電話は GSM、長さの物理単位はメートルである。…
社会科学では、標準化とは様々な標準を確立し、人々やその相互作用や事件などを扱う効率を改善する過程を意味する。例えば、司法手続きの定式化、精神病診断の改善などが含まれる。…
ビジネスにおける情報交換では、標準化とは特定の文法を使った特定のビジネスプロセスのためのデータ交換標準を開発する過程を指す。このような標準は非営利の標準化団体(UN/CEFACT、W3C、OASISなど)が開発することが多い。…
「業界標準」を目指して
石油業界スーパーメジャーのひとつであるシェルは、SAPにとって古くからのパートナー企業のひとつであり、かれこれ40年来のお付き合いを頂いている企業です。そのシェルが、いまSAPの石油・ガス業界のいくつかのユーザー企業・パートナー企業とともに、とある業界コンソーシアムをリードしています。キーワードはもちろん「標準化」。そこではある意味、標準化推進団体として、ビジネスプロセスの「標準化」、IT視点の表現を使えば「パブリッククラウド化(≒完全なる既製服の着用)」を通した業界共通の「標準」の実現に向けて取り組んでいます。
誤解のないように追記すると、また、上記ウィキペディアの記述を流用するのであれば、あくまで「市場の競争原理を阻害することなく利益をもたらすことが期待される」ビジネスプロセスが対象です。すなわち、いま起こっている「標準化」に向けた大きな『うねり』は、競争優位性には大きく関連しないと捉えられているビジネスプロセスを対象とし、「自社プロセス」という範囲ではなく、より広く業界全体として「標準」をつくって行こう、とするものなのです。
「記録系」プロセスの徹底的な「標準化」とその先にあるもの
SAPシステムを導入されたユーザー企業の皆様、あるいは、導入を検討されている皆様もよく耳にされていると思いますが、ビジネスプロセスの「標準化」は、自社プロセスをERPパッケージなどの「標準(=既製服)に合わせる」こととして捉える向きも多いかと思います*1。ERPパッケージの導入プロジェクトで、よく「競争優位に貢献するプロセス」は、場合によっては「カスタマイズ(パラメータの追加設定)」や「アドオン(プログラムの追加開発)」をしてでも自社固有のプロセスを実装し、そうではない「汎用的なプロセス」はパッケージに合わせ標準化せよ、という方針が出されていた時代もありました(←ちなみに過去形)。
*1 なお、SAP製品(SAP S/4HANA)の場合、実際は多様な「パラメータ」の設定により多様なビジネスプロセスをサポートしますが、それについての詳述は当ブログの対象外とさせていただきます。
しかし、グローバル企業の動向を見ると(また、それら動向を反映したSAPの製品戦略として)、シェルのみならず、また、石油・ガス業界のみならず、より広い範囲で「標準化」や「簡素化(シンプル化)」を目指すのが大きな『うねり』となっています。すなわち、ERPがカバーしていたいわゆる「記録系」のプロセス、例えば、「受注から入金まで(Order to Cash)」「発注から支払まで(Procure to Pay)」「計画から製造まで(Plan to Produce)」に代表されるロジスティクス(兵站)プロセスや、バックオフィス、とくに、経理や財務のプロセス(Record to Report)は、徹底的に「標準化」することで業務の簡素化(シンプル化)を指向することが大きなトレンドとなっています。そして、競争優位性は、それら「記録系」のプロセスの「外側」で実現されるもの、という考え方が主流となりつつあります。つまり、従来よりは広い意味での「バックエンド」に競争優位性というものは存在せず、デジタル化で新しく定義されつつある「フロントエンド」でお互い存分に戦っていきましょう、という考え方です*2。
*2 そのことを示すシェルの事例について、別ブログもぜひご参照下さい。
シェルと石油・ガス業界のビジョン
少しだけその方向性を見てみましょう。まずは、向こう10年以内に、ビジネスプロセスの多くが、つまり80%は「業界標準(Market Standard)」が提供され、残り20%が「各企業それぞれのソリューション(Custom Solution)」を実装していくであろうというビジョンが示されています。[下図]そして現時点では、「パブリッククラウド化(≒完全なる既製服の着用)」の対象として、例えば、石油・ガス業界で言えば、「アップストリーム(油田開発等)」におけるジョイント・ベンチャー・アカウンティングや、油田採掘事業などの独立したエンティティは、「業界標準」によりサポートされるべきシナリオとして例示されています。逆に、「ダウンストリーム(原油流通〜石油精製・流通)」におけるプロセスは、現時点ではまだ「業界標準」に向けては、さらなる時間が必要とされています(いずれ業界として「標準化」される範囲として捉えられていることにも注目ですが、現段階では不確定な要素です)。[下図]
※下図”Cloud ERP”で示された中の、”Multi-tenant”がいわゆる「パブリッククラウド(SaaS)」に該当シェルがリードするこの業界コンソーシアムについて、SAPの年間を通した最大のグローバルイベントであるSAPPHIRE NOWにて、取り組みの概要と方向性について触れられる機会がありました。詳細は、SAPPHIRE NOWのサイトよりセッションの動画をご覧頂きたいと思いますが、その中で、シェルのグループCIOであるJay Crotts氏は、以下のように述べています。
今までと異なるアプローチで進めている。すなわち、石油・ガス業界のSAP S/4HANAコンソーシアムを、パートナー各社さらには競合する各社からも参画を得て活動を推進している。我々は「フロントエンド」では激しい競争を行なっているのは確かだ。一方で、主には、設備資産管理や調達・購買、経理含めたバックオフィスの効率性の向上については、業界全体として協働し、どういった効率化の余地があるかを検討するのも重要なことである。それはまた、我々シェルのみならず競合各社のエンジニアの活用・流動性の向上にも資すると考えている。
もっとも重要なことはもちろん、お客様を中心に考えることである(Customer Centricity)。私共としては、着実に効率性を求める箇所と、一方で、如何にしてお客様にベストな価値をお届けすることができるか、それらを突き詰めて考えて行きたい。
少し唐突ですが、「労働者不足」や「働き方改革」にも踏み込んでいける新しい視座に巡り合えたような気もします。今後もこのコンソーシアムの動向を注視して行きたいと思います。