職人技は属人業務 – 築いた信頼を未来に橋渡すためのボーンズ社の選択
作成者:柳浦 健一郎 投稿日:2021年6月21日
職人頼りの業務運用が抱えるリスク
企業の成長とともに重要なテーマとなるのが、ビジネスのグローバル化、事業領域の多角化、そして新興企業も含めた競合企業との差別化などである。製造業を取り巻く環境は、顧客・消費者の嗜好の多様化対応、先端技術の進歩、限られた労働力、地政学リスクや自然災害やCOVID-19などによるサプライチェーンの分断など、枚挙にいとまがない。しかも変化が激しい。スピード感をもって競争環境に対応できなければ事業が継続できないほど難しいビジネス環境だと、今や多くの人々が捉えている。
いかなる企業にもずば抜けた対応力を持つその道のプロ、専門家、いわゆる職人がいるものだ。営業畑一筋のたたき上げセールス、需給のバランスを絶妙にコントロールするサプライチェーンの重鎮、長寿命の設備を知り尽くした製造・保守要員、サプライヤーを知り尽くしたプロバイヤーなど。これまでは、そのような職人の経験、勘、度胸、俗にいうKKDで乗り切ってきたことは事実であり財産だった。しかし、当たり前だが職人でも歳をとるし、幸にして世代交代したとしても、予測不能な現代、いざ難局が訪れた時に、職人でしか乗り切れないとしたら、いや、職人で乗り切れるかどうかわからないとしたら、それはビジネスにおける大きなリスクである。
しかし、果たして解決策はあるのだろうか?
ボーンズ社が直面した課題と解決策
ボーンズ社(Bourns, Inc.)は、1947年にボーンズ夫妻がカリフォルニアの小さなガレージで電子部品関連の仕事にとりかかったのが始まりである。程なくアメリカでは航空宇宙産業が本格的に幕を開け、難易度の高いセンサーや電子部品要件に対してボーンズ社は優れた技術力で応え、ビジネスを軌道に乗せた。アポロ11号の月面着陸制御や宇宙飛行士の酸素調節装置にもボーンズ社の部品が使われたことから、卓越した技術力を窺い知ることができる。現代では電気自動車やスマホ、ノートパソコン、再生可能エネルギー関連、がん治療向けの埋込型X線センサー、さらには火星探査機にも搭載されるなど、顧客からの信頼で培われた事業セグメントは多岐に渡っている。
ボーンズ社の企業理念
「お客様に最高品質の製品、迅速なサービス、そして高い価値をお届けする」
いたってシンプルな企業理念でボーンズ夫妻は会社を築き上げ、現在も脈々と引き継がれている。年商は5億ドルを超え、5,000人以上の従業員が本社や製造拠点、営業所で働いている。ボーンズ社の顧客はアメリカ国内企業のみならず、ヨーロッパ、アジア各地に広がり、エンド顧客との直接契約もあれば、ディストリビューターを介して商品を提供することもある。そのため、商談、見積もり依頼が世界中から舞い込んでくるのが日常だ。
ボーンズ社が直面した課題
多岐にわたる事業セグメントで多数の商品アイテムを持つボーンズ社は、日々世界各地の顧客から商談を通じて契約を交わし、商品を提供している。卓越した技術力を持つボーンズ社の魅力的な商品を購入し、最終製品の部品として活用したい顧客は自動車産業、エネルギー産業、ハイテク産業、医療産業、航空宇宙産業と実に幅広く、数も多い。ボーンズ社には商談時の見積もり業務があり、要求仕様にある商品の特定、納期の確認、そしてもっとも重要なのが提示価格の設定、つまり値決めがある。当然標準提供価格はあるが、競合に対して競争優位な価格提示をするため、マーケット価格相場、数量に応じたディスカウント、過去の商談における価格感、業界や地域による特性などを考慮する必要がある。
ボーンズ社の商談業務プロセスは、営業所にいる営業担当者が顧客とコミュニケーションを通じて、商品の価値の訴求を行い、納期はシステムを通じて確認を行う。商談結果を左右する重要な価格に関しては営業ではなく、価格設定アナリスト(プライシングアナリスト)があらゆる情報をかき集めて、収益を考慮した競争優位な価格を導き、それを営業担当者が取りまとめて顧客に提示している。
ボーンズ社の課題はこの価格設定アナリストの業務だった。
価格設定アナリストの多くの業務は手作業で行われていた。経験豊富ないわゆる職人が、提示価格決定に必要な情報をかき集め、独自に算出していた。価格設定アナリストの工数のほとんどが情報収集・集約作業だったという。見積もり業務のボトルネックは、この職人による属人的な手作業の価格設定プロセスにあり、益々増える商談に対して都度対応するには限界を迎えていた。商談時の見積もりは時間との勝負ということもあり、事態は深刻だった。
手作業をなくし、デジタルに置き換えることで活路を見出す
このような現状を打破するためにボーンズ社が取り組んだのは、「手作業をなくす」というシンプルなことだ。価格設定アナリストが収集している情報・データは長年の習慣で集めてられていたが、そもそも分散して存在していた。そこで、散在しているデータの収集を自動化した。収集していたデータとは、
- 商談情報
(商品アイテム、ボリューム、セグメント、地域、契約時期、競合、納期など) - 過去の顧客契約実績
(セグメント別、地域別、ボリューム別、契約時期、値引き、契約履歴など) - セグメント別、地域別、ボリューム別の標準価格および利益
- 過去のWin、Loss情報
必要情報の収集・集約を自動化したため、価格設定アナリストの作業の大部分が自動化、効率化された。多分手作業当時には起きていたミスをするリスクは軽減された。
「手作業をなくす」取り組みはさらに続く。
蓄積されたデータを元に、職人の経験と勘と度胸の部分にあたる価格設定ロジックの部分を、機械学習アルゴリズムを活用することで、競争優位な提供価格を予測する取り組みを行った。
「手作業をなくす」2つの取り組み、つまり情報の収集・集約の自動化と職人の頭にあった暗黙知の価格設定ロジックを機械学習でシステム化したアーキテクチャは3階層で表現できる。
- 第1階層:過去の商談トランザクションや受注、出荷、在庫情報
- 第2階層:SAP HANAベースのビッグデータ
SAP Data Intelligence による膨大なデータ統合および機械学習機能 - 第3階層:SAP Analytics Cloudを活用した分析、可視化
今ではすべての商品アイテムに対して最適化された推奨価格がシステムから自動出力され、価格設定アナリストは最後の意思決定に注力できるようになった。この価格設定業務が効率化されたことにより、見積もりリードタイムが35%短縮されたという。また、システムが自動推奨する価格に価格設定アナリストが修正を加えることなく見積提示する割合、ボーンズ社はこのことをタッチレス見積もりと呼んでおり、その割合が見積もり全体の25%になったという。今後はボーンズ社の商談数が更に増え、当然見積もり業務が増えることになるが、価格設定アナリストの業務がボトルネックにならないように仕組みが活用されていくだろう。
顧客の信頼を勝ち得たビジネスを継続していくために
ボーンズ社の取り組みは、優れた取り組みを表彰するSAPの表彰制度SAP Innovation Awards 2021でファイナリストに入った。世界各地から376の取り組みがエントリーした中、ファイナリストまで進んだのは72の取り組みだった。しかし、残念ながらボーンズ社は20社が対象となるアワード獲得とまではいかなかった。そこに今の世の中の成熟度合いが垣間見られるように思う。ビックデータ、人工知能(AI)や機械学習(ML)などの技術進歩により、経験豊富な職人にしかできなかった業務を、デジタルテクノロジーにサポートさせる例は珍しくない。例えば2020年、日本の三井金属鉱業は、工場の熟練作業員の勘や経験といった感覚値をデジタル化したことでアワードを獲得している。
SAP Innovation Award 2020 Entry Pitch Deck / 三井金属鉱業
業界、業務を問わず、かつては職人技と言われた、企業価値の源泉の領域にデジタルテクノロジーを活用した例は珍しいとは言えなくなっている。故にアワードの獲得に至らなかったのではないかと筆者は考える。
三井金属鉱業は、事業のあり方や将来像の再定義、業務の標準化を行った中で匠の技のデジタル化を推進したという。ボーンズ社も同様である。卓越したノウハウで顧客の信頼を勝ち得た企業が、その信頼をこの先の将来も裏切らないために、顧客を通じて社会をよくしていくために、これまで職人によって培われた経験をデジタル基盤に置き換えることで付加価値をより確かなものに。昨年今年と同様な先を行く企業の取り組みを見たことで、今後この解決策が標準になっていくと感じさせられた。
※本稿は公開情報に基づき筆者が構成したもので、ボーンズ社のレビューを受けたものではありません。
参考資料1:SAP Innovation Awards 2021 Entry Pitch Deck / Boruns,Inc.
参考資料2:「Hope for tomorrow – 進化するデジタルトランスフォーメーション」(SAPジャパン) 株式会社プレジデント社刊