業界が変容するとき、デジタルは何ができるのか? ~世界の通信企業にみる取り組み~

作成者:久松 正和 投稿日:2021年6月22日

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デジタル貧国ニッポン

2020年新型コロナウィルス感染拡大という予期しない事態に陥って露呈した数々の事柄は、日本のデジタル化の低さを改めて露呈してしまったように思います。これから人口の減る日本、あらゆるビジネスプロセスが整理され、デジタル化によって効率化されていかないと、ずっとヤキモキするのではないかと、筆者も心配になってしまいます。最近の各種メディアの論調も辛辣です。デジタル優等生の欧米・中国・台湾と比較したり、OECDの生産性順位や経済成長率との比較をしたり、多極化する世界でのポジショニングを議論する中で、政府や主要銀行などを名指しで非難する記事などを目にした方も多いのではないでしょうか?その中でも週刊ダイヤモンドの昨年の特集記事「デジタル貧国の覇者NTT」はネーミングからして手厳しいものがありました。記事ではNTTがまだまだ至らぬ点があることを非難しつつも、社会のデジタル化を牽引する様を公平に評価したよい記事でした。日本社会全体のデジタル化については、NTTのような大きな存在を持ったICT事業にビジョンと推進力を期待したいものです。

世界どこの国でも、今のデジタル化の一歩目はネット接続です。その物理層を担う通信事業はこれからの社会にとってなくてはならない存在といえるため、通信事業は安定成長だと思われていますが、通信事業は過去の「回線を張っておけば収益が返ってくる」ビジネスモデルから、業界全体が大きく変容しています。基本的なサービスメニューも、DSLやFTTH、ケーブルBBなどの固定ブロードバンド接続、公衆WiFiサービス、LTEや5Gのモバイルブロードバンドといった回線メニューを取り揃えなければならず、技術は10年で立ち枯れます。しかも、競争によって単価の下がった回線単体では十分な利益が上がりません。そこでネット上のサービスプロバイダとも共存しながら競争を繰り返し、アプリケーション層に食い込んでゆかないと、ネットワークそのものの価値を下げ、投資の回収もままならなくなる場合も考えられます。

世界各国にデジタル化の大波が押し寄せる水面下の通信業界は、その地盤を揺るがすような大地震に遭遇しているのです。かつて通信企業Verizonの大きな変革事例を報告させていただきましたが、各国の通信会社はそんなに巨大な企業ばかりではありません。実は多くの通信事業は国に閉じたローカル企業です。狭い市場にありながらも合従連衡で投資効率をコントロールし微妙なバランスをとりながら、GAFAのような強大なグローバルITと地域戦を展開しています。そして、業界が変動する際にデジタル化が功を奏するような取り組みが発展途上の各国で見られ、各社の勇気ある経営判断に熱いものを感じます。あらゆる業界の変革が叫ばれる現在、経営層の皆様の判断の参考になるかもしれません。ここ数年のSAP Innovation Awardsにエントリーされた通信事業の事案からのインサイトを紐解いてみます。

 

Innovation Awardsにみる世界の通信事業のデジタル化

(1)究極の省力化経営Globe

世界でインターネットを最も活用している国はどこか、皆さんはご存じでしょうか?

Digital 2020 Global Digital Overview によると、世界で最もインターネットを利用する国民はフィリピン人であり、1年365日、毎日10時間ほどをオンラインで過ごしているそうです。日本のインターネット利用時間は世界でも少ないほうで4時間ほどですが、フィリピンは世界の平均6時間半を大きく超えています。フィリピンLuneta公園

フィリピンに特有の“海外に出稼ぎに出た家族とのテレビ電話による会話”は、そのひとつの典型的なユースケースですが、ソーシャルメディアを使って家族・友人とのコミュニケーションはフィリピンの国民にとって重要なアクティビティです。しかし国民全部がSNS漬けだけになっているわけではありません。企業や教育機関によるネット利用が充実しており、そのほか国外向けのオンライン英会話のようなネットを利用したベンチャービジネスもたくさん生まれてきています。日本よりもはるかに少ない収入であっても、フィリピンの人は一日の半分くらいをインターネットにつながることで、生活を豊かにしています。

フィリピンは日本より少し少ない1億人の人口と、少し狭い30万㎢の国土を持つ島国です。通信サービスは、国策企業を背景としたPLDTと民間主導のGlobe Telecomの2社が競争しながら市場を育て、モバイルの回線数で言うと日本と同じくらいの規模の1億7千万回線まで成長しました。
このGlobeは事業の効率化に敏感な企業です。設立以降PLDTを追いかけて成長し、安価なモバイルサービスによってPLDTと肩を並べるまでになりました。現在7700万回線を8000人の従業員で提供し、収益は1,464億ペソ(3,360億円)です。日本の通信業の場合、同規模の回線数を提供するNTTドコモが社員数2万人、収益4.65兆円ですから、比較してみると従業員数は4割程度で同規模のサービスを提供し、人件費が安いとはいえ収益はたった7%です。サービス品質などの条件を差し置いても、効率的な経営をしているのが見て取れます。
しかし、安く通信を提供することだけが彼らのミッションとは考えていないようです。Globeは、単なるインターネット回線を提供する通信事業から、その上に乗ったコンテンツや利用者の生活を支えるサービスのプロバイダになるべく、昨今の事業方針を練り上げています。

2000年以前からSAP ECCユーザーであったGlobeは、2016年に大きなIT改革に乗り出します。自社のITシステムが目標に合ったものではなく、最新の SAP イノベーションを利用できていないことに気が付き、今後数年間で予想される成長を考慮した上で、その足枷にならないエンタープライズ アーキテクチャの更新を企画しました。
まずはエンタープライズ アーキテクチャ を、SAP ベスト プラクティスおよび利用可能なリファレンス コンテンツに一致させることで、業務プロセスを標準化します。また、SAP アプリケーション情報とビジネスデータを正確に取り込み、今後のIT の計画と改善のための EA ロードマップを作り、継続的なIT変革が実現できる環境づくりを始めました。
また、今後Globe自身のビジネスが変化していくことを想定して、この変革の方針を修正していきました。例えば、買収による事業拡大や、通信サービスからデジタルライフスタイルビジネスへの転換が起こることが想定されます。これらの事業変革を推進し、新しいビジネスによって付け加わるシステムの複雑なランドスケープを管理します。同時にSAP の製品ロードマップも変化することを想定し、 Globe の IT 戦略に合わせて、SAP のアーキテクチャの成長を統合的に管理することを目指しました。
SAPのコンサルティングサービスとともに検討を重ね、SAP S/4HANAとデータ分析基盤、調達ネットワークSAP Ariba、タレントマネジメントSAP SuccessFactors、そしてカスタマエクスペリエンス管理などを導入して2019年にITシステムの統合を完了しました。これによって、財務レポートの迅速化、業務データの統合、サービスにおけるカスタマー エクスペリエンスの最適化、調達業務の計画から購買までのプロセス整備、事業計画のデータ業務や実績値との比較を容易にし、経営判断の迅速化を実現しています。

Globeは2020年SAP Innovation Awardsにエントリーしましたが、SAP S/4HANAの導入事例としては技術的には極めて標準的なものであるため、表彰はされていません。しかし、会社の規模に比べて導入したITシステムの規模の大きさに、勇気と覚悟を感じます。Globeはこれによって、世界でもまれにみる低収益の経営をさらに効率化し、投資が終わった3G/4Gサービスにかかるコストをさらに削減することと同時に、5Gへの投資を進め、サービスの多様化を目指しているのです。Globeの次の目標はデータドリブン経営です。新規ビジネスの取り組みすべてが即座にデータで判断できるようにすることで、新しい成長基線に乗っていこうとしています。そのための改革のコアとしてのビジネスプロセスの統合を今もGlobeは続けています。

SAP S/4HANA led Digital Transformation Globe Telecom Inc.

 

(2)人のチカラを結集したTelecom Argentina

日本のEC化率は6~7%であり、これまた先進国の中でも低位と言われます。成長率は8%程度で、成長の止まった日本にあって伸びている分野ではあるものの、かつての勢いが感じられなくなった気がします。アルゼンチンにおけるECは長い間、日本と同様に低い割合で停滞していました。南米の中でも経済の安定性が低く、国民は現金しか信用しません。クレジットカードの普及も低いため、なかなかECが広がりませんでした。ところが、そんなアルゼンチンにもEC化の波が到来し、コロナ禍の2020年で120%以上(2.2倍インフレの影響もあり)と凄まじい勢いで伸びています。MercadoLibre Inc. (メルカドリブレ)という会社が、南米の人々の心をつかむサービスで成長しています。カードでなくキャッシュによる決済サービスと送料無料のオペレーションによって、自社通販とモールによる売り上げで、アマゾンを追いやるほどの勢いを見せています。このメルカドリブレのブームによってECそのものが急速に成長を果たしています。

このECのブームの基礎を支えたのが、固定とモバイルのブロードバンド回線の普及でした。世界に遅れて2015年ころからアルゼンチンはケーブルサービス並びに4Gブロードバンドの利用がはじまり、モバイル事業者であるTelecom Argentinaが、2018年にケーブルブロードバンドサービスのCablevisión社と合併したことによって加速化しました。この合併によって、Telecom Argentina社は収益2700億円、従業員24000名というアルゼンチンでも最大の企業になっています。
世界でも有線サービスと無線サービスの合併は珍しくありません。Verizon CommunicationsはVodafoneとの共同モバイル事業を買収していますし、日本でもKDDIがJCOMを買収しています。無線と有線という違いはあれ、通信サービスを営業・提供するプロセスは似ていますので、合併によってサービスバンドリングを行い、オペレーションのリストラクチャリングを行うことで、収益の拡大と大きなコスト削減を実現できます。

ところが、Telecom Argentinaはこの合併で人員削減を発表しませんでした。この従業員の 60% 以上がサービス販売のため顧客訪問の仕事に携わっているという、低スキル人材ではあったのですが、それでもこれらの人材を抱えたまま、人材を活用することによって新しい成長を目指そうとしたのです。
このためにまずは人材管理のための基盤を作る必要があります。合併当初はそれぞれの元の会社で使っていた2つの SAP HCM を用いて個々別々に給与の支払いをしていましたが、人材管理の面でも統合化の必要があります。そこで、人材に向けたカルチャー改革とデジタルトランスフォーメーションの両方を同時に進めることとしました。ライフサイクル全体で従業員のすべてのニーズに対応する単一の人材管理システムを構築するため、SAP SuccessFactorsによる一意のデータソース実現を企画しました。
SAP SuccessFactors によるベストプラクティスを活用して、プロセスの簡素化と自動化、承認ワークフローの合理化、ドキュメントのデジタル化・ペーパーレス化を可能にし、効率性を高めました。また、従業員のエンパワーメントを進め、社内で能力開発に時間をかけられるようにすることで、自己管理によって専門的な技術知識を含む様々な能力開発を行えるよう、またシステム管理によって組織全体のケイパビリティがどのように変革するのかを可視化しました。

Telecom Argentinaシステムアーキテクチャ

HRシステムアーキテクチャ

Telecom Argentinaの改革は、始まったばかりです。この急速に成長する市場において、多様な能力をもった人材を目指した企業がどのようにサービスを展開し、事業を拡大してゆくのか、見守りたいと思います。

※Telecom ArgentinaはSAP Innovation Awards 2020のFinalist でした。
20件の受賞者には選ばれませんでしたが、最終審査にまで残ったということです。
Connecting Our People to Boost Their Worlds with SAP SuccessFactors

 

(3)従業員のリスキリングを目指したTelefonica

デジタル技術の力を使いながら価値を創造できるように 多くの従業員の能力やスキルを再開発することで、企業のDXに向かう能力を高めるリスキリングが注目されています。グローバル通信会社Telefonicaは、スペインを本国としてアルゼンチンなどの南米を含むラテン語圏に、3億5千万加入の規模でモバイルサービスを提供しています。彼らは今まさに自社が技術的の進化による混乱に巻き込まれていると認識し、企業の新しい方向を見通すために、コロナ禍の2020年にプロジェクトを開始しました。
これからAIやアプリケーション、それらを支える仮想ネットワーク、またタスクそのものシンプル化などによって、当面必要とされる従来の従業員は減るだろうと予想しています。しかし、将来の世界に合わせてビジネスを変革するには、まず人を変革する必要があり、これからのTelefonicaを支える、未来志向のプロファイルをもった社員を作り出す必要があると考えました。

Telefonicaはこれまでバラバラに分かれていたHRシステムをグローバルでひとつのSAP SuccessFactorsによるタレントマネジメント基盤に統合したばかりでした。今回はこれを拡張して、SAP Business Technology Platformの上にリスキルアプリケーションを迅速に構築しました。従業員の既存のスキル情報を引き出して分析するアプリケーションを構築し、PCやモバイルによって従業員自身が既存のスキルを認識し、自分の目指すべき開発分野を探索できるようになりました。

Telefonica Re-Skilling system architecture

リスキリングシステムアーキテクチャ

従業員はAIチャットボットのガイドでエンゲージメントを作成し、10万ものプログラムの中から機械学習ベースの推奨学習コースを得ることができます。直感的で魅力的なユーザーエクスペリエンスを採用したことで、リスキルアプリの利用率が90%を超えるまでになり、従業員が急速な技術変化に適応するために必要なトレーニングを効率的に実施できるようになり、従業員のエンパワーメントが進みました。
これによってコロナ後、再び経済が活況になる世界、5Gによる社会変革が起きる未来に向け、Telefonicaは従業員のデジタル変革スキルを高め、着々と準備を進めています。

リスキリングの事例では、マヒンドラ・グループの事例もあわせてご覧ください。もはや通信業界だけのトレンドではなく、ローカル企業に限ったトレンドでもなく、巨大グローバル企業での動きと捉える方が良さそうです。
従業員がより人間らしく働けることを事業成長戦略に加える

Teaching New Skills to Help Employees Keep Pace with Technological Change

 

通信事業が日本のデジタル化をリードするために

通信事業のエグゼクティブの方々にインタビューをすると、日本の通信産業は『出来上がった産業』で、これまでの技術や資産が重要な成長のためのアセットだとおっしゃる方が多いことに気が付きます。しかし人口の減少する日本や先進国において、それは妥当な考え方でしょうか?

経済事情では日本よりも制限が多い国の通信事業における果敢な取り組みを挙げてみました。彼らは、現在の立脚点から人のチカラを使ってそれぞれのやり方でIntelligent Enterpriseになるための一歩を歩み出しました。8, 000人という、事業としてはミニマムな人員で通信会社を経営するGlobeは、従来の事業を自動化することによって、多くの社員をオーディナリー・ケイパビリティからダイナミック・ケイパビリティの担い手へと振り分けようとしています。人員が増えたTelecom Argentinaはリストラではなく、人材の基盤を整備することでその先の世界を模索しています。Telefonicaは従業員のリスキリングという手法で、より野心的な変革を成し遂げようとしています。業務ソフトウェアやAIによる業務推進、データによる経営などがデジタル化のトレンドとなっている時代、ここで挙げた3社の改革は、人を起点とし、新しい世界を切り開くチカラを従業員に求めて、ITに投資しています。この経営のコミットメントやビジョンは注目すべきものがあると考えます。

ICT産業の目指すべき先はGAFAであると喧伝されますが、彼らが今現在実現しているのは、ネットの利用が急成長する時代において、高い視座で従業員・パートナー・顧客の知識を最大限に活用した結果です。さらに変化するこれからの世界でも彼らの成し遂げる成果は、きっと変容してゆくことでしょう。日本のICTが世界あるいは国民をリードして幸福な未来を支えるようになれる道筋は、『今のGAFA』に追いつき追い越すことではないと、筆者は考えます。先を見据えたビジョンをもって、より大きな社会変革に寄与できるような能力=ダイナミック・ケイパビリティを組み立てる必要があります。その根幹をなすのは、ITでもAIでもシステムでもなく、まさに人のチカラです。それを最大限発揮させるためにこそ、企業は自動化できる業務のすべてを自動化し、繰り返し作業は機械に任せるべきです。そして人材の再教育によって新たなスキルを獲得させ、成長領域に注力させる。そうやって経営を組み立ててこそ、業界をリードすることができるのではないかと思います。そのうえで、日本の通信企業がすべてのほかの産業をリードするデジタルイネーブラーになってほしいと思います。

※本稿は公開情報をもとに筆者が構成したものであり、Globe Telecom, Telecom Argentina およびTelefonicaのレビューを受けたものではありません。

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