自ら学習する組織 — ジョブ型雇用の先に描かれるもの

作成者:久松 正和投稿日:2021年11月22日

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ジョブ型雇用への転換

2020年以降、富士通やNTTなどをはじめ、続々と大手の日本ICT企業でジョブ型雇用への移行がアナウンスされています。高度経済成長期からずっと維持されてきたメンバーシップ型と言われた就業体系では、組織が業務を行う主体でした。言葉を選ばずに表現すると、個々の人材は「タスクを回す歯車」として扱われました。その反面、従業員から見ると雇用は確保され、年次が進むことで給与待遇も上がり、生活の糧を得る手段としては最も無難な就社環境だったと言えるでしょう。
ジョブ型雇用の環境では、個々人が職責を担って、チーム・スキルなどを含めてリソースを管理し主体的に業務を進めることを期待されます。会社側は、ジョブディスクリプションに合わないと判断すれば、職務から外す命令もあり得ますし、職務レベルが下がれば減給なども想定されます。ある意味厳しい制度と言える反面、従業員個々人を大人として扱い、自律性を尊重する制度であり、富士通・NTT両社とも、まずは管理職から適用していくとのことです。

ところで世界、特に米国では、ホワイトカラーの雇用環境を組合などで守ることは少なく、以前からジョブ型雇用がほぼ当たり前のことでした。グローバル社会に富士通やNTTが積極的に進出し始めたのは1990年ころからで、2000年にはすでにジョブ型雇用の海外子会社とメンバーシップ型の日本本社での人材管理について不整合がありました。本社採用と子会社採用で人材の流通に枠を設け、積極的な流動性を避けているという話も聞かれました。なぜ20年もたってから全社のジョブ型雇用への移行を始めたのでしょうか?

ひとつには従来の働き方改革の浸透と、コロナ禍によるリモート就業の急速な普及によって、従来「会社にいる=就業している」でも許された環境から、時間ではなく本質的な成果を意識しやすくなってきたためと考えられます。そもそもホワイトカラーの従業員に“残業代”を払うような習慣は、日本にしかないそうです。今回のジョブ型雇用はホワイトカラーの従業員にとって、時間=仕事という感覚から、業務成果へ目線を移す引き金になると期待されています。

※富士通は、評価・処遇の方針として、「どれだけ会社に貢献したか」をフェアに評価することを示しています。

しかし、最も大きなジョブ型雇用への移行の本来の目的は、この多様化する社会環境の変化に対して組織を柔軟に運用するためでしょう。外部変化に組織が対応するには、組織を構成する人材をいれ替えたり、場合によっては人材のスキルセットを大胆に変える必要があるはずです。しかし、単に多様化をトップダウンで指示することは不可能です。そもそも年次昇格や、一方的な辞令による異動がある従来的な人事制度の中では、従業員が自律的なキャリア形成を行うモチベーションが出てきにくいものです。その点にメスを入れてグループ内の人材の流動性を高め、個々の従業員の成長を実現できる環境があってこそ、組織に多様な視点をもたせることができるはずと考えられています。

しかし、それほどまでに多様な視点が必要なのでしょうか?

 

多様性を必要とする環境

20世紀は世界中どこでもモノやソリューションが足りなかったので、課題を見つけたら即座にソリューションを作ればビジネスが発展しました。しかし昨今では、メディアやインターネットを通してソリューションを作るノウハウや、ビジネス課題そのものの情報も即座に駆け巡ります。加えて様々な技術コンポーネントも安価に容易に利用できるようになってきたため、誰でもどんな顧客の要望にも応えていくことができるようになりました。あらゆる課題にあらゆるソリューションが細やかに提供されることから、結果として、どの製品・サービスをとっても、差別化が難しくなっています。

今足りないのは、ソリューションよりも課題そのものを捉える力です。昨今のイノベーション事例を見ると分かるように、本質的な課題を発見する能力が企業のサービスの価値を左右します。しかし、本質的な課題が従来的なマーケティング調査などでは見つかりそうになく、大きな課題ほど日常の習慣や既存のビジネスプロセスに覆い隠されてしまっていて、顧客自身が具体的に理解していないこともしばしばです。

そんな環境でICT企業が生き残っていくためには、顧客の現場に迫り、トライアンドエラーを繰り返し、成功パターンを見つけていかざるを得ません。例えばどんどんとチャレンジをするシリコンバレーベンチャーのような活発さやアイディアと成長への情熱が求められています。

次世代を担うといわれる5G サービスも、コネクティビティ単体では大したビジネスバリューを見出せません。「5Gサービスの先に、生産機器や搬送機器といったIoTでコントロールできるデバイスをつなげ、それらを効率よく管理するクラウドアプリケーションとセットにすることで、製造業の生産工程の改革に寄与する」といった顧客のバリューチェーンに密接にかかわるサービスにまで仕立て上げて初めて、顧客の課題の諸端に触れることができるのです。そのうえで顧客の細やかな要望を感じ取り、幹となるサービスから多方向に小枝を伸ばしていくことで、はじめて市場での成功パターンをつかむことができるのではないでしょうか?

日本企業の組織自体が、海外企業との合併や様々な領域への進出によって、人材の多様性を増したという背景があったことで、ジョブ型雇用を推進した先で自社企業内での人材の自律的な流通を実現できるようになりました。辞令ではなく従業員が自律的に選んだ職場で経験する仕事は、きっと大きな成長をもたらします。きっとさらに多様化が推進されることでしょう。しかし、日本のICT企業が向かうマーケット環境で本当に成功するには、市場に広がる個々の顧客の要望に応えなくてはなりません。組織の末端にいるチーム自身が主体的な行動を起こし、シナプスのような触手を伸ばすことで、顧客の真の要望にたどり着く必要があります。

そのためには、今の人材が持っているスキルだけでは足りるでしょうか?

LinkedIn Learningによると、学習と能力開発の専門家の64%が、労働力のギャップを埋めるためのスキルの向上が組織にとってこれまで以上に優先事項になっていると述べています。ここで必要とされるのは、ギャップを埋めるための新しいスキルセットの習熟度だけでなく、最終的に回復力を高め、不確実な将来に直面しても適応力を高めるのに役立つ方法でスキルアップすることだそうです。

 

企業によるリスキリング

世界150か国で20万社以上の顧客を持ち会計監査、コンサルティングとITサービスなどのプロフェッショナルサービスを展開するEYは、2017年のSAPPHIRE NOWで自社の改革について講演をしました。グローバル化する事業環境においてより複雑で高度なサービスを提供するため、Vision2020計画によって、人材のシェアードサービス化を含む人材活用を軸とした事業変革を目指したものです。

この時点で解決すべき人材管理の課題として下記を上げています。

  • 世界中に分散したシステムがあり、非効率な人材管理
  • 適切な人材を迅速に見つけてチームを構成し顧客向けに提供する必要
  • モバイルツールを用いて働く環境の整備が急務
  • 入社時の育成教育、人材評価、キャリア開発、学習などの 人材開発機能における国別・地域別ギャップ
EYの人事改革 Vision2020

EYの人事改革 Vision2020

ここでEYは、AIやモバイルなどの技術に着目して人事領域におけるイノベーションと差別化を目指しました。SAP SuccessFactorsによるデジタルHR基盤によってすべてのグローバル拠点でプロセスの統合と標準化を行い人事の業務効率を高めたうえで、複雑化するスキルと人材のロール定義を明確にし、より生産性の高い人材を継続的に提供するグローバル人材のシェアードサービス化を推進しました。

まずは、モバイルワーカーの就業環境を整え、世界のどこからでもプロジェクトに参加できるようにしました。さらにグローバルでサービスに必要とするタレントリソースが容易に検索でき、適切なサービスプロジェクトに最適な人材がアサインできるようにしました。業務そのものもAIやVRなどのテクノロジーでサポートすることによって人材の能力を拡充しています。これで、EYはプロジェクトデリバリの許容度がたかまり、収益性も高めることができるようになりましたが、改革はこれで終わりませんでした。

次にEYが取り組んだのは、人材トレーニングコストの削減と従業員エクスペリエンスの向上です。企業監査を提供するEYは、定期的なコンプライアンスのトレーニングが必須で、もともと社内トレーニングの機会が多かったようです。しかし、その場その場の必要で繰り返されるトレーニングは、提供コストが最適化されておらず、提供された側の従業員のエクスペリエンスも高くありませんでした。そこで、EYは世界中のトレーニング結果を測定し、得られるべき効果とのギャップを特定し、継続的な成功を促進するためのリーディングプラクティスを適用する能力をSuccessFactorsの基盤の上に実現しました。EYは2020年までの継続的な改革を推進しています。

この改革について、 EY Global HR Systems LeadのAntony Shields氏は下記のように述べています。

人材管理は、我々の経営戦略のコアです。管理手法を変えることによって、我々は、より効果的に我々の従業員と事業を管理し、見える化し、透明度上げる機会を得ることができます。この改革によって、我々はクライアントの支援を効率化し、より速く収益を得ることができるようになりました。

 

Vision2020は壮大な改革でしたが、その後コロナ禍を経てどのように人材のマネジメントが変革されたのでしょうか?2021年のインサイダーのインタビューにて、Global Chief Innovation LeaderであるJeff Wongは、リーダーが今できる最善のことは、従業員の成長に投資することだと語っています。

世界がこれを急速に変化させている場合、それは個人が以前とは異なるキャリアについて考える必要があることを意味します

トレーニングコストを削減したといっても、EYの人材開発への投資は莫大です。2019年だけで5億3000万ドル。コロナ禍で投資が抑制された2020年でさえ4億5,000万ドルもの費用をかけてオンライントレーニングを開発し、スタッフ自ら学習するオプションを提供しています。EYの全従業員数は約30万人ですから、コンサルティング人材一人当たり毎年200万円近い(あるいはそれ以上の)学習への投資をしているわけです。残念ながら、そのトレーニングコンテンツの詳細については知ることはできませんが、非常に幅の広い様々なトレーニングを企画しているようです。

SAPでも社員の育成については毎年のように変わり、その範囲が広がっています。その範囲はSAP自身の戦略、SAP S/4HANAのようなソリューション、Enterprise Architectureのようなテクニカルなスキルから、デザインシンキングあるいはチャレンジャーセールスのようなメソドロジー、また、マルチプライヤー型リーダーシップやGrowth Mind Setといったマインドセット論なども社内で展開されています。一見、方針が定まっておらず、当てずっぽうに流行りのトレーニングを展開しているようにも見えるのですが、従業員が多様なスキルをそれぞれ獲得してゆくことで、SAPという会社の成熟度が少しずつ増してゆくのを筆者は感じています。

 

自ら学習する組織

30年も前になりますが1990年に出版され、ブームを巻き起こした「学習する組織」(ピーター・センゲ著)という本があります。「自分たちが本当に望んでいるものに一歩一歩近づいていく能力を、自分たちの力で高めていける集団」を提唱し、その方法論を展開しています。

今回のジョブ型雇用の採用において日本のICT企業が考えなければならないのは、生身の従業員が自律的な学習によって、社内ではなく市場での人材価値を高めることです。顧客にもわかりやすいスキルを持った従業員は、必ず組織の市場へ浸透を深めますし、そのスキルによってより高い価値を顧客に提供できます。そうして、従業員の成長が企業自身の成長に結びつくからこそ、EYやSAPは社員の育成に大きな投資をしています。

従業員の市場価値が上がると、他社から引き抜かれる、転職される、などと考える企業もあるかもしれません。かつては、社費のMBA留学生に対して、離職に対する金銭的なペナルティを要求するような会社もあったと聞きました。安直な転職のためのトレーニングなど考える従業員も多かったかもしれません。しかし、人材への投資をそのような視点で見るべきでしょうか?

ピーター・センゲ氏は学習する組織の第一の要件として、従業員個々人の内発的動機付けを挙げ、対話によって組織と従業員がともに成長する環境を作る考え方を提起しています。ジョブ型雇用が単なる評価制度の改定でないのと同様、従業員のスキルに対する投資も事業戦略として考えるべきです。その戦略が十分練られたものであれば、従業員のリスキリングは大きな効果を実現することでしょう。

 

※本稿は公開情報をもとに筆者が構成したものであり、EYのレビューを受けたものではありません。

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