センシリオンの成長戦略を支える変革の歩み
作成者:柳浦 健一郎 投稿日:2021年11月29日
センシング技術が日常生活に浸透してきている。スマホやスマートデバイス、家電・住宅設備など身近なものから自動車や医療、産業用とあらゆる分野でセンサーが活用され、健康状態、運転・交通状態、機器稼働状態など今まで見えなかったものやことが見えるようになり、人々の暮らしや働き方に変容をもたらしている。豊かで快適な社会の実現に深く貢献するセンシング技術、今あらゆる分野のスマート化に欠かせない重要な技術だ。世界のセンサー市場は分野ごとに成長率に差があるが、全体では2021年~2028年まで年平均成長率8.9%、IoTセンサー分野は年平均成長率27.8%など非常に高い成長が見込まれている。成長期を迎えているセンサー業界は、スタートアップも含め多数の新規企業の参入やセンサーを成長事業として戦略投資を行う企業、さらにはM&Aを仕掛けポートフォリオ拡大を模索する企業など、ビジネスチャンスも多い分、競争の激しい業界として位置付けられる。
このような成長業界で成長戦略を描くセンシリオン社を今回取り上げてみたい。
成長戦略を掲げる、もしくはこれから掲げようと考える企業は多いのではいないか。具体的な成長戦略を進める企業の実例を紹介したい。
センシリオン社について
スイスのSensirion Holding AG(以下センシリオン)は、温湿度及びガス・液体フローの測定・制御用の高品質センサーやセンサ・ソリューションを提供する、環境センサ、フローセンサー領域のリーディングカンパニーだ。1998年にスイス連邦工科大学からスピンオフして創業したセンシリオンは、従業員約800人、スイス本社以外に中国、台湾、韓国、日本そしてアメリカに拠点を構え、2020年度は連結売上高253.7Mスイスフラン(約310億円)を計上。
センシリオンのセンシング技術は、自動車業界向けにはフロントガラスの曇り検知や車内空調制御に活用され安全・快適性に貢献、住居やビル向けにはガス消費量の監視・制御などで省エネ実現に貢献している。また昨今COVID-19で注目されたのが医療・ヘルスケア業界向けのセンシング技術。人工呼吸器に搭載される吸気・呼気・流量測定センサー、3密回避のためにCO₂濃度を見える化するCO₂センサーは、人の生命、安全・安心・快適を支えている。超小型化、高品質、低コストで大量生産を実現するセンシリオンの技術力は、製品のスマート化を検討する多くの企業から注目されている。
センシリオンが掲げる成長戦略
成長戦略を描き始めたのが2016年。2018年に創業20周年を迎えるセンシリオンは、IPO(スイス証券取引所に新規上場)を目指した。財務体質の強化、資金調達力強化、知名度向上、従業員の士気向上、人材確保の優位性向上など、成長戦略・成長加速のためにはIPOが重要なマイルストーンとして位置づけられた。
センシリオン社の成長戦略の概要
- 創業20周年である2018年にスイス証券取引所新規上場
- グローバル、特にアジアにビジネスを拡大
- 自動車向けセンサーモジュール事業強化
- 自動車業界Tier2サプライヤからTier1サプライヤへポジションアップ
- 成長を支える基幹業務システム基盤の整備
成長戦略を描く前にセンシリオンが直面していた悩み
センサー需要の急速な高まりと共に、成長戦略を掲げIPOを目論むセンシリオン。社内のチームワークの良さは強みだ。
当社の従業員はセンシリオンのサクセスストーリーの背後にある原動力です。皆で作り上げた当社の文化は「センシスピリット」と呼ばれます。
Marc von Waldkirch, CEO of Sensirion
センシスピリットと呼ばれる企業文化には「Work Together」が掲げられる。センサーはお客様の製品に組み込まれて初めて価値を発揮する。顧客の要求は技術だけでなく、納期や価格、数量変更など多岐にわたるが、社内部門間のチームワークを発揮しながら迅速に顧客対応を行い、ビジネスを継続してきた。
しかし、成長戦略を掲げ、地域拡大や事業セグメント拡大に伴いビジネスボリュームも多くなるとチームワークだけでは顧客要求に対処するのは難しい。なぜなら部門間のいたるところでペーパーワークが発生し、顧客の問い合わせに正確に回答しようとしても現場の状況がすぐには把握できない状況だったからだ。人を増やせばなんとか対応できる状況だろうが競争の激しいセンサー業界であるが故に人材獲得競争も激しく、すぐには人も増やせない状況であった。
過去センシリオンではそれぞれの業務部門でシステム化のニーズがあると、都度その部門で個別にITベンダーに依頼した結果、個別のシステムが乱立しており、複雑性が増していたのだ。部門ごとにはシステム化されていても、いわゆるITベンダー丸投げで作られたシステムのため、自社でシステム改修することができずに、都度外部ベンダーに改修を依頼する必要があった。その結果として、変化に対応するには時間もコストもかかるという切実な悩みがあった。
その悩みが学習となり、業務間のシステム分断のない、新たなシステム基盤を構築する際には、従来とは異なるアプローチをとる必要性を感じていたのだ。
成長戦略を支える新たなシステム基盤
「会社が大きくなってからシステムを準備していたのでは、永遠に間に合わない。ビジネスはリスクにさらされ、必要なセンサーが必要な時にお届けすることができない」
Tomas Klein -Head of SAP CC, Sensirion AG
ITベンダー丸投げで個別システム化を進めてきた結果、ビジネスのスピードや顧客の要求に対応できないリスクが高まっていたセンシリオン。必要なセンサーが必要なタイミングでお客様に届けられなくなる可能性があるのは致命的だ。特にセンサーや半導体などの電子部品業界における確実な納品は非常にクリティカルであり、たった一つの部品が納品されないだけで顧客の製造をストップさせ、ビジネスや社会に甚大な被害を与えかねない。成長してからシステムを準備していたら間に合わない、新たなシステム基盤の構築は成長戦略には欠かせないものと位置づけられた。
新たなシステム基盤の構築に求められた主要なポイント
- スイス以外の拠点でも業務オペレーションが遂行できる運用体制
- 主要業務領域のカバー(財務・管理会計、販売、購買、生産、倉庫管理)
- 既存製造実行管理システム(SAP ME)との連携*
*自動車業界の品質基準・トレーサビリティへの対応(ISO/TS16949)のため既存製造管理システムは利用し続ける判断 - 顧客のニーズを把握する営業管理とシームレスな製造、倉庫管理との連携
- 顧客納期回答の迅速化
- 経営情報、マネジメント情報、現場情報の迅速、効率的な可視化
- ペーパーワーク、エクセルワークの削減
- 運用しやすいシンプルなアーキテクチャ
これらの要件を満たす検討がされた。広範な業務領域をカバーし、グローバルビジネスに対応する能力があり、顧客の問い合わせに対して迅速に対応できる可視性、応答性をもつ新システム基盤。しかも過去の反省から従来とは異なり、ITベンダー丸投げではなく、極力自分たちでスキルを身に付けてビジネスの拡大を阻害することなくシステムをグローバル展開、運用ができるようにする目論見に、一緒に伴奏できるビジネスパートナーを求めた。センシリオンの文化「Work Together」を社外にも拡大したとも解釈できる。
ビジネスパートナーには要件の充足度だけでなく、センシリオンが自分たちでシステムを構築、展開、運用できる能力を身に着けるためのユニークなアプローチ方法も選定基準の大きな要素となった。そして、センシリオンがビジネスパートナーとして選んだのがSAPだった。
SAP S/4HANAを中核に、経営可視性を高めるSAPのアナリティクスソリューション、既存のSAP Manufacturing Executionとの連携など幅広い業務エリアをカバーする連携・統合されたソリューションは、従来の部門最適なシステムとは大きく異なる。そして、稼働後も見据えた従来とは異なる導入アプローチに沿った体制が導入プロジェクト開始時に整えられた。
センシリオン全社基幹システム構築体制
- センシリオン社内にSAP知識を持つ専門部隊「SAPコンピテンスセンター」の新設
- センシリオン主体の導入体制
- SAP Digital Business Service(SAPコンサル部隊。以降DBS)によるコーチングアプローチでセンシリオンのSAP専門チームを育成
- アジャイル型アプローチ
- プロセスオーナーごとに要件を抽出、整理、優先順位付け
センシリオンとSAPのチームワークにより、15か月で主要業務領域を網羅し製造実行管理システムや倉庫管理とも連携した仕組みの稼働にこぎつけた。センシリオンのSAPコンピテンスセンターにいるのは、たった7人。この7人の戦士がコーチングアプローチによって蓄積されたスキルとノウハウで、スイス本社だけでなくアジア展開のサポートも主体的に進めている。
センシリオンの新たなシステム基盤について、こちら2つの動画で紹介している。
動画で強調されていた新システム基盤活用による効果
- 指定納期遵守率98%達成
- 社員の増加なしで売り上げ15%アップを達成
この2つの効果を謳っているのがセンシリオンの特徴的なところだろう。
センサーも含む電子部品業界において指定納期遵守率98%は誇れる指標だ。加えて、プロジェクトの前後で15%売り上げの増加があっても、人員を増加させずに進めたことで、ほかの導入事例よりも投資対効果が高かったことが報告されている。
着実に進む成長戦略
センシリオンが当初期待した自力での運用保守や開発。SAP DBSのコーチングアプローチが奏功し、自分たちの成長にもつながり、地力が増し、限られたリソースで規模や地域が拡大しても、顧客の要求に迅速にこたえられる体制が整った。2018年予定通りIPOが実現し、成長戦略を着実に実現している。
2020年、予期しないCOVID-19で感染者・重傷者が増えて、人工呼吸器の需要が高まった際も、新たなシステム基盤をベースにシフトの迅速な変更を行い、まかないきれないフローセンサー受注量に対して順次出荷量を増やして人工呼吸器不足の非常事態の解消に努めた。市場変化への対応力も高まり、2020年度の売上は前年比48%増という結果に至った。
デジタルとビジネスパートナーが成長戦略の要
このようなセンシリオンの成長戦略の歩み、「Work Together」が一つのキーワードとして挙げられる。成長戦略を機に、このWork Togetherの意味合いが一段高い次元に昇華した。
規模の拡大でチームワークだけだと人が頑張るだけだが、システム基盤を武器にすることで人+デジタルで頑張り方が変わる。Work Together with Digitalと表現するとしっくりくるのではないか。デジタルと共に働くことで迅速に正確に顧客の要求に応えられるのだ。
また、SAP DBSと共にシステム基盤を構築する際にとったコーチングアプローチ。自ら成長をしつつビジネスパートナーと共に働く。伴奏するパートナーと共に成長するWork Together with business partnerとでも表現しておこう。ビジネスパートナーと伴奏することで、変化があっても迅速に対応することが可能となる。
このセンシリオンの成長戦略に向けてデジタルとビジネスパートナーを味方にした変革の歩みは、成長戦略を描くあらゆる企業の参考になるのではないか。
最後に、
SAP社員である私としては、センシリオンが成長戦略を共に歩んでいくビジネスパートナーとしてSAPを選択されたことを誇りに思う。SAPはITベンダーではなく、お客様の変革を共に行う“ビジネスパートナー”になることに力を入れている。センシリオンとのパートナーシップは、これからのSAPビジネスのあり方の象徴的な例として見ることもできる。今後もセンシリオンの活躍を応援していくとともに、日本においても同じようなパートナーシップを多くの企業と築くために、さらに精進したい。
※本稿は公開情報をもとに筆者が構成したものであり、センシリオンのレビューを受けたものではありません。
参考資料