コロナ渦での住民の生活を支えたデジタル ~スイス チューリッヒ州の失業保険申請の完全自動化~

作成者:浅井 一磨投稿日:2022年9月15日

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2020年2月、新型コロナウィルスの感染拡大により、当時は世界各国で雇用状況の悪化に関する報道が溢れた。
ヨーロッパにおいても同様で、各国政府は企業と協力して、住民の生活を支えていた。グローバル・イノベーション・インデックス 2021にて11年連続で、最もイノベーションが進んでいる国と評されたスイスでは、大量の失業者が出るのを防ぐために “操業短縮制度”を緩和する決断を行った。
しかし、かえって申請の殺到を招いたことで、多くの州政府は処理能力を上回り、機能不全に陥った。そのような状況の中、チューリッヒ州政府は2週間でオンライン申請と自動処理を実現し、35万人の住民の生活を支えることができた。
なぜチューリッヒ州は“2週間”でデジタル化を実現できたのか?詳しく紹介したい。

“操業短縮制度”について

“操業短縮制度”とは、企業の一時休業を支援するための制度である。企業が一時的に休業する場合に、政府が支援を行い、企業から従業員に手当を支給することで、企業の経費負担の軽減、並びに従業員の失業の防止と生活の安定を図ることを目的としている。
この制度は1960年代から多くの国で取り入れられ、発達してきた。
スイスでは、経営が悪化した際に、企業が一時的に従業員の労働時間を減らすことができる代わりに、失業保険で8割の賃金を補填している。
例えばフルタイム(常勤)の従業員の労働時間が半減した場合においても、企業は通常の賃金の50%を支払い、残りの50%のうち8割は失業保険から給付される。そして、従業員は通常の90%の賃金を保証される。また、この制度を利用することにより、企業は一定期間、完全に操業を止めることもできる。

条件緩和された操業短縮制度と落とし穴

スイスにおいて、操業短縮制度は、リーマン・ショック時に効果を発揮し、約9万人の従業員に適用され、大量の失業者が出るのを防いだと評価されている(出典:SWI swissinfo.ch スイス操業短縮制度とは
今回の新型コロナウィルスのパンデミック時においても、スイス政府は “操業短縮制度”の条件を緩和した。
しかし、素晴らしい制度にも落とし穴はある。申請が殺到し、多くの州政府が受付処理が不可能な状態に陥ったのである。特に影響が大きかったのがスイス最大の州、チューリッヒ州。
チューリッヒ州は人口は38万5千人と、日本では大阪府の枚方市と同等の人口規模であるが、スイスのGDPの5分の1以上を占める経済都市である。
チューリッヒ州では、操業短縮制度の条件緩和が行われる前の月は10件程度だった申請が、条件が緩和されるや否や一晩で申請が1万件以上にのぼった。そして、3か月間で申請数は3万件以上となった。これは従業員で換算すると34万人を超え、チューリッヒ州の企業に勤める全従業員の約3分の1にあたる数となる。
前月の1000倍を超える申請数を受けて、チューリッヒ州政府はパンク状態に陥った。
理由は、申請および手続きが紙と手作業を中心としたアナログな処理だったせいだ。
当時の処理手続きは以下である(図1)

図1  自動化以前の手動プロセス(英語版資料をもとに筆者翻訳)

1件あたりの処理に要するのは、平均25分、かつ、申請書の入力内容が不正確・不完全なものが多く、内容の確認や訂正処理も職員の負担となっていた。そのため、迅速に申請処理を行うには、チューリッヒ州当局は職員をさらに70人追加増員しなければならない状況に陥った。
追加増員するにはコストがかかるうえに、すぐには対応できない。このままでは、大量の失業者を生み出してしまう・・・。

当局の決断と2週間での“オンライン申請&自動処理”の実現

チューリッヒ州 情報技術局 責任者 ハンスルエディ・ボーン氏は、操業短縮制度の申請の”オンライン化“と”処理の自動化“を実現することを決断し、SAPおよびそのパートナー企業であるPRODYN社に支援を求めた。
依頼を受けたSAPのサービス&サポートチームは、彼ら自身の豊富なアジャイル型アプローチの経験と柔軟な問題解決能力によって、チューリッヒ州情報技術局との間で、日次ベースの目標設定と進捗管理を行い、2名の開発者によるアプリケーションのコーディング、テスト、フィードバックという作業を繰り返し、ボーン氏の決断からたった2週間で自動化処理を行うSAP Intelligent RPAアプリケーションを稼働させた。
新しく開発されたアプリケーションの処理は、オンライン申請を実現し、操業短縮制度の申請文書の抽出、検証、処理までの自動化を実現した。
具体的な手順を以下にまとめた。

図2  オンライン登録および自動化プロセス(英語版資料をもとに筆者翻訳)

この情報技術局の判断と、2週間でのオンライン登録および自動化処理のプロセスが、チューリッヒ州の企業に勤める3分の1の従業員の生活の危機を救ったのだ。

デジタル化による効果

オンライン登録および自動化されたプロセスは短期間での実装以外に以下のメリットがある。

特にコンプライアンスの遵守は非常に大きなメリットがあったという。スイスにおいて操業短縮制度の申請は悪用・誤用が急増しており、以前から政府は大きな懸念を示していた。そこでチューリッヒ州のプロセスでは、州の業務規定と照会し、不正な申請を保留し、操業短縮制度の悪用・誤用を防いだ。まさに「悪貨に良貨が駆逐」されることなく、行政サービスを迅速に正しく運用したのである。

他の州でも横展開されたデジタル処理

さらに、チューリッヒ州で提供されたアプリケーションはスイスのアールガウ州でも使用され、約 75%の作業工数の削減、2 営業日以内に申請者への支払いを実現するなどといった効果をもたらした。アールガウ州 公的失業保険基金責任者 ファビアン・ルーレ氏は、チューリッヒ州のプロジェクトを横展開できたことを、短期的かつ一次的な措置としてではなく、長期的な視点でとらえた上で非常に有益であったと評価している。
このように、チューリッヒ州のみならず、他の州にまで利用されたこの取り組みはSAPのグローバルアワードであるイノベーションアワード2022において、持続可能なビジネスを提供する顧客に授与されるAdoption Superheroを受賞し、さらに優れた品質を提供する顧客に授与されるQuality Awardにおいてもファイナリストに選出されるなど、グローバルで傑出した取り組みとして評価された。
さらにチューリッヒ州を支援したSAPスイスは、チューリッヒ州より新型コロナで大きな打撃を受けた企業を救済したとして「デジタルパイオニア」部門の金賞を受賞。アプリケーションの実装のスピードだけでなく、実用面、ビジネス効果面、監査面において大きな価値をもたらしたことを評価されている。
これはSAPをベンダーとしてではなく、エコシステムパートナーとしてご評価いただいた証である。

不測の事態におけるデジタルの価値

チューリッヒ州の事例は、行政機関がいくら優れた制度を定めたとしても、不測の事態が起きた際には必ずしも即応できるとは限らず、状況に応じた迅速な判断に基づくビジネスプロセスの見直しが必要であり、「迅速」という要件に対しては、デジタル技術の活用が大きな強みを発揮することを如実に示している。
日本では、“RPA”はバスワードとなり、多くの企業や自治体がツール導入を行ったにもかかわらず、想定した効果を得ることができないという状況に陥っているケースが散見される。そして多くは現行の業務を変えることなくRPAをそのまま導入した結果、効果が得られないことに起因している。チューリッヒ州の事例は、リーダーの迅速な決断とビジネスプロセスの変更、アジャイル型のアプローチにより2週間で行政サービスの変革を実現させた点が見事で、正直に言えば私自身の“RPA”という言葉の先入観をも払拭してくれた。今後チューリッヒ州は不測の事態で高い実績を上げた経験を財産として、平時でも確実に変革の道を歩むのではないかと思う。
新型コロナウィルスのパンデミックのような不測の事態は、今後、いつどのような形で起こるかは想定できない。公共業界だけに限らず、あらゆる企業、業種、業界が経験し、さらに言えば、日本には日本の、スイスとは異なる不測の事態がある。

スイス チューリッヒ州が2週間で行政サービスをデジタル変革できた実績をしっかりと記憶にとどめ、取り組む価値があることを、日本の皆様にお伝えしていきたい。

※本稿は公開情報をもとに筆者が構成したものであり、チューリッヒ州情報技術局のレビューを受けたものではありません。

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