2022年4月14日、毎年恒例のSAP Innovation Awardsの受賞者が発表された。
Here Are the Winners of the SAP Innovation Awards for 2022
今回のエントリー数は99件。その中からまず60件のファイナリストが選ばれた。さらにファイナリストから受賞者が決まるが、今年はSAP創業50周年の記念の年であり、昨年のエントリー開始のときから、受賞者は例年の20件ではなく25件に増えると発表されていた。その結果、昨年度よりも競争率は低かったことになる。しかし、これまでのSAP Innovation Awardsの受賞取り組みと比べて、より具体的で重みのある取り組みが受賞者リストに名を連ねた。
それぞれの企業や組織が、自らの特性、置かれている環境・市場・顧客などのこの先の動向も踏まえて具体的に策定した方策に基づいて継続的に取り組みを推し進めている。そこには明確な意思があり、組織や人の改革と並行して確実な情報システムを構築し、チェンジマネジメントによって当初の目的を果たして強靭になった受賞者たちが、夢物語でない未来を私たちに想像させてくれる。ともすれば変革への切迫感が先行し、変革は手段であるのに目的化されがちな取り組みは、ひとつもない。

SAP Innovation Awards 2022 を受賞した25の企業・組織
受賞した取り組みの特徴
かつては、さまざまな業界の取り組みを総花的に紹介するような印象がすることもあったが、今回は全くそうではなかった。SAP Innovation Awardsも回を重ねることで進化している。25の受賞取り組みを一つひとつ紐解き、改めて俯瞰してみると、これまでにない、興味深い特徴が見られた。
- 日本ではどちらかと言えば保守的と捉えられがちな、公益サービスや官公庁、教育機関等、公共系に目覚ましい取り組みが多く、合計8件が受賞。本格化するサステナビリティー対応やコロナ禍対応を早期に実現するためにデジタル技術が採用され、実際に大きな成果を上げていることに驚かされる
- 6件が2019年の初受賞に続いて2度目の受賞。2019年に受賞した取り組みを進化させ、さらにレベルを上げ結果を出している事実からは、「変革とは歩みを止めないこと」を教えられる
- 社会全体の変化を促す”Social Catalyst”の取り組みのカテゴリー以外でも、企業としての収益確保と社会や人への貢献の両立が当たり前になっている。自社や顧客だけが変革の恩恵を被るのではなく、ビジネスパートナーや従業員、社会全般への貢献や影響力が明らかな取り組みが、未来への道筋を示してくれる
通算8回目のSAP Innovation Awards。どの取り組みからも、もはや業界枠を超えた、まさにBeyond Industryと呼びたくなる、どなたにもインサイトを提供するような”こなれ感”を感じる。そこで今回、幾つかの取り組みについては、執筆者が通常業務では担当しない業界の取り組みの執筆という、私たち自身のBeyond Industryに挑戦した。
50th Anniversary Legend
SAP創業50周年。今年だけに設けられた特別な賞に輝いたのは、1990年代からEarly AdopterとしてさまざまなSAPソリューションを導入、21世紀初めには、それまで世界中に展開したそれぞれの組織で使っていたソリューションを単一のインスタンスに統合し、グローバル集中型の価格設定スキームを実現、現在もそれを使い続けているドイツの消費財メーカー、Freudenbergだった。今回の受賞となった取り組みは、消費財関連部門全体の計画と予測のプロセスをボトムアップ型からトップダウン型に変革、管理したい全ての切り口で統合・調和させたことである。しかし、単純に新たな計画系ソリューションを導入し置き換えたのではない。システム構成からはそれまで使っていた既存のソリューションの有効な部分を活かし、そこに必要な新たな機能だけを統合させたことが見て取れる。長くSAPソリューションを使ってきた企業ならではの、いわばFreudenbergとSAPの成熟した関係が窺え、”Legend”の名にふさわしい。
SAP Innovation Awards 2022 で Freudenberg が SAP 50周年記念賞を射止めた理由(古澤 昌宏)
Adoption Superhero
通常の年では、受賞カテゴリーの冒頭に置かれるAdoption Superheroは、SAPの営業部門やサービス部門などと連携・協力し、SAPクラウドソリューションを採用して、それまでのビジネススタイルを脱却したインテリジェント化を実現した取り組みに授与される。
2020年3月、スイス最大の州、チューリッヒ州を新型コロナウィルスが襲い、ロックダウンによって収入の道が途絶えかねない住民たちを助けたのは、過去にもその地域の住民の暮らしを支えた操業短縮制度だった。しかし、あまりにも急に起きた事態に、制度を活用したい企業が一夜にして膨大に増え、かえって制度が機能しなくなる状況に陥った。このままでは、企業もその従業員も立ち行かなくなりかねない。その危機を救ったのは、制度活用のデジタル化に梶を切った責任者の迅速な決断と、わずか2週間という驚異的なスピードで要求に応えた、チューリッヒ州の職員とSAPの技術者たちの任務遂行への高い意識だった。
コロナ渦での住民の生活を支えたデジタル ~スイス チューリッヒ州の失業保険申請の完全自動化~(浅井 一磨)
コロナ禍によって、ソーシャルワーカーと呼ばれる人々に耳目が集まった。人間でなければできない仕事に従事する彼らは、過酷な環境でひとり働く忍耐と苦痛を抱えているケースがしばしばあり、声なき彼らの献身が、多くの人々を支えていることへの理解が浸透した。折りしも、コロナ禍で炙り出された課題や加速する脱炭素社会への動きによって、ドイツの国家戦略であるIndustry 4.0は進化した。Next Industry 4.0として掲げられた3つのテーマのうちのひとつが、「人間中心のアプローチ」である。注目したいのは、ひとつの答えとなるような取り組みを、お膝元であるドイツの電力会社Netze BWが既に実践していることだ。
「人間中心のアプローチ」で従業員のウェルビーイングを高め、持続可能なビジネスを創出するNetze BW(柳浦 健一郎)
Social Catalyst
社会、環境、あるいは経済にポジティブな影響を示し、世界をより良くし人々の生活を向上させるという目的を示すためにSAPソリューションの活用をハイライトしたストーリーを賞賛。SAPのCorporate Visionが受賞クライテリアに織り込まれた唯一のカテゴリーである。
日本だけに暮らしていると、電力は社会インフラとしてあって当たり前。しかし、世界に目を向けると、約8.4億人が信頼性の低い送電網にしか接続できず、約7.7億人が炭や薪といった木製調理燃料に依存し、しかもそのうちの約5.9億人がアフリカに住み、特に女性や子供が家庭内大気汚染の被害で年間約400万人が亡くなっているという。これらの深刻な”エネルギー貧困”状態にある人々に、手頃でクリーンなエネルギーを届け、生活を良くするビジネスを展開しているのが、英国の次世代ユーリティティー企業Bboxxだ。苦しむ人々を一刻も早く救うために、戦略的ビジネスパートナーとして選ばれたのはコーポレートビジョンが一致するSAP。選択されたソリューションはSAP ByDesign、そしてGrow by SAPという超成長企業向けのSAPプログラムが活用された。既に、太陽光発電システムを管理するプラットフォームBboxx Pulse®とSAP ByDesignは、シンプルなアーキテクチャーで統合されている。
10億人が”エネルギー貧困”から抜け出すために 〜Bboxxの挑戦〜(武田 倫邦)
企業が、自治体が、国家が、それぞれサステナビリティー目標を掲げている。ところで、目標を達成するために、そこにいたる過程の状況把握手段は講じられているだろうか。イタリアの高級インテリア建材メーカーArpa Indastrialeは、自分たちが謳った目標を夢のままにせず実現させ、さらにその価値を社会に対して持続的に提供するために、全ての事実を測定するための次世代インテリジェントファクトリーを構築。データから得た事実をSAP HANAの人工知能に機械学習させ、生産プロセスでの低コスト/高品質/廃棄量低減のために、測定・分析・改善を絶え間なく繰り返すことで、2026年排出量50%削減の実現に向かっている。目標の実現には、事実を正しく把握して行動に繋げるしかない。事実の把握と分析にはデジタル技術が不可欠。サステナビリティとデジタル技術は相性がいい。
Arpa Indastriale – 事実に基づく変革のためのインテリジェントファクトリー(東 良太)
Business Innovator
このカテゴリーでは、SAP S/4HANA または SAP Digital Supply ChainソリューションとBusiness Networksを活用して、エンドツーエンドのビジネス変革を達成した取り組みを賞賛する。
企業や組織における調達購買業務は一見地味に見えがちだが、開発・生産・販売・会計などの業務領域と比べてエンドユーザーがはるかに多く、プロセス標準化によって効率性や透明性を向上させることで、顧客である従業員の体験やエンゲージメントの向上のみならず、株主価値の創出に繋がる。調達購買業務高度化の取り組みを、2010年代半ばから進めていたカナダ航空が、最後のフェーズである支払業務にSAP Ariba Buyingを適用し稼働させたのは2020年3月。まさに新型コロナウィルスが世界的に猛威を振るう直前だった。人々の往来が途絶え、大きな影響を被った航空業界において、全世界の拠点における調達購買業務をリモートで遂行し、想定していた効果を上げた。しかしこれを、日頃の行いが報われたカナダ航空、で済ませるわけにはいかない。
転ばぬ先の杖!カナダ航空に学ぶ、コロナ禍でも効果を出し続けた理由(日下部 淳)
改革プログラム“One ERP”によって、SAP S/4HANAを業務基盤とし、全世界に広がるグループ内の子会社の業務プロセス統合を推進する、アメリカの通信会社Verizon。プログラムの一環である”One Planning”では、各社のさまざまな事業計画を統合し、事業間の計画・実行の可視性を高めるだけでなく、AIによる計画の立案も進めている。さらに、業界特有の激しく変動する需要に応える調達プロセスの高度化も目指す。Sales&Operation分析、需要分析と販売計画、供給計画、在庫計画、そして各店舗への分配計画。Verizonが目指したのはこれらのエンドツーエンドの統合であり、さまざまなソリューションを組み合わせたシステム基盤を構築して獲得したのはビジネスバリュー。彼らの目的はその一点だった。
Verizonのサプライチェーン改革が、エンドツーエンドである理由(久松 正和)
加えてこのカテゴリーでは、イギリスを本拠とする世界有数の金融機関であるバークレイズ銀行が、企業間決済製品Precision PayTransferと購買・調達ソリューションを統合した新たなデジタル金融サービスを提供したことで受賞している。既に前園 曙宏氏がいち早く日本語化し、『Do it! “経験”が、デジタル変革を加速させる(プレジデント社刊)』P136 – 145に掲載しているので、ご興味ある方にはぜひお読みいただきたい。
『Do it ! ‟経験”が、デジタル変革を加速させる(プレジデント社刊)』
Transformation Champion
このカテゴリーでは、SAPのデジタルプラットフォーム製品の少なくともひとつを実装して、ビジネス上の課題を革新的な方法で解決し、Intelligent Enterpriseとなった取り組み、あるいはSAP Business Technology Platformを活用して、高度なテクノロジーの少なくともひとつを含む、次世代向けアプリケーションを開発導入した取り組みに授与される。
1939年創業。激動の時代を生き抜き、その50年後、ドイツ自動車産業の一角で従来の枠組みを超える事前組み立て、シーケンシングなど従来サービスの枠組みを超えた価値を模索し成功。そのDNAが21世紀になっても脈々と受け継がれているのが物流企業Schnelleckeである。考え方の基本にあるのは、自社の課題ではなくお客様の課題にフォーカスして解決を図ること。「お客様のロジスティクスを常に次のレベルに引き上げます」。目先の価格やサービス品質の努力だけでは決して言えない宣言だ。”デジタルという商材をいかに効果的に使うか”にフォーカスし、理想とするデータドリブン・ロジスティクスの世界観を展開させるためのDigital Control Tower(DCT)でプロセス全体の透明性を高め、極限まで「作る」と「運ぶ」の垣根をなくしている。
お客様のロジスティクスを次のレベルに進化させるーSchnellecke Logisticsのチャレンジ(土屋 貴広)
正規の医薬品でない偽造薬による健康被害を防ぐため、ブロックチェーン技術を使ったスマートフォンアプリで、消費者の安心感という新たな価値を創造した医薬・医療品流通業者Zuellig Pharma。次に取り組んだのは、B2B eコマース業務の変革だった。市場は成長著しい東南アジア13カ国。しかも顧客側のエンドユーザーはミレニアル世代が72%を占める。東南アジアでは、この世代が経済を牽引していると言っても過言ではない。蓄積したERP基盤上のデータを用いた新たなeコマースアプリケーションは、その操作性や機能を慣れ親しんだB2C eコマース並みにすることで、満足感と業務効率を高め、狙い通り、顧客からの好評価を獲得した。
真の顧客の購入体験向上のために — Zuellig Pharmaが見せる未来への道筋(松井 昌代)
Industry Leader
このカテゴリーでは、業界全般の変革、クラウドソリューションでのビジネスの変革、回復力のあるサプライチェーンの構築、持続可能な企業の構築など、昨今の最大の課題に対処し、インテリジェントで持続可能な企業となった実際の取り組みを賞賛。SAP ソリューションを使用して新しいビジネスモデルを作成したり、エンドツーエンドのビジネスプロセスを劇的な方法で革新するなど、業界が従来から行ってきたビジネス手法を破壊するような取り組みを対象としている。
今年、社会インフラを支える公益サービス業界から多数のエントリーがあった。単に件数が多いだけではない、受賞に相応しいInnovativeな取り組みが多く、それを反映して5件が受賞。その中でも「業界のリーダー」のタイトルを輝いたのは、元フランスガス公社のENGIEだった。今や全ての業界における標準となった持続可能性のテーマに真正面から取り組み、戦略/組織/テクノロジー/業務が一体となった事業運営によって、再生可能エネルギー事業が全体の利益の2割を占め、その利益で事業そのものを持続可能にしている。彼らが実践している一つひとつのスケールの大きさが、この事業運営に必要なダイナミックな判断と行動を教えてくれる。
再生可能エネルギーで利益の2割を占める~ENGIEの一貫性あるアプローチを紐解く~(桃木 継之助)
トルコの自動車部品サプライヤのMartur Fompak International は、2010年代初頭にSAP ERPを採用して、全社経営情報の一元管理の実現を目指した。その経験と実績を基礎として、自動車業界にさらなる高品質のコンポーネントを供給する企業を、IoTを活用して実現。さらに昨今の社会課題の解決とサステナブル経営に向けて前進するためにメタバースを取り入れて、それぞれ2019年、2022年のSAP Innovation Awardを受賞した。まるで通常業務の一環のように業務革新に挑み、次々と最新テクノロジーを自社の味方にしていくことで、自ずと強靭な企業体質が培われていくのだろう。
MFI — 世界初、自動車部品サプライヤのメタバースを活用した工場革新(山﨑 秀一)
Partner Paragon
パートナー企業向けのカテゴリー。SAP Business Technology Platformの、少なくともひとつのクラウドテクノロジーを使用して、実際に1件以上の顧客の導入実績を持つ、次世代の収益化アプリケーションを開発したパートナーに授与される。
かつてAIを活用したアプリケーションの開発で外来植物の駆除に挑戦し、2019年のSAP Innovation Awardを手にしたNTTデータが、デンマークでさまざまな理由で学校に通えない子供たちの学びをサポートするアプリケーションの開発に取り組んでいたとき、全世界を新型コロナウィルスが襲い、ロックダウンによってさらに子供たちが学校に通えなくなった。そのときNTTデータは、パンデミックを理由に開発の手を休めるのではなく、むしろこの大きな社会課題に果敢に挑み、子供たちの笑顔を取り戻すことに成功。再び「パートナーの鑑」となった。
開発のスピード感を知るNTTデータ、再び社会課題に挑む(久松 正和)

2023年に向けて
”Legend(長く語り継がれる人)””Superhero(英雄)”、”Catalyst(促す人)”、”Innovator(先駆者)”、”Champion(闘士)”、”Leader(指導者)”、”Paragon(模範)” 。 日本ではカタカナでも通じる言葉を、敢えて今日本語に翻訳すると、それぞれの取り組みからのインスピレーションがさらに高まる気がしてくるようだ。変革を継続させることの凄みと価値を、今年の受賞者から学んだ気がする。
さて、来年はどんな取り組みに驚かされ、考えさせられ、慣れ親しんだ日々で積み上げてしまった常識を覆されるのだろうか。いずれにしても未来を感じさせてくれる取り組みからの刺激は大きく、襟を正される思いがするとともに、前向きになれることを実感する。
2023年のSAP Innovation Awardsは、創業から50年の歴史を踏まえ、カテゴリーとクライテリアが更新され、来年は10個のカテゴリーとなった。”Superstar(達人)”、”Hero(英雄)”、”Leader(指導者)”、”Paragon(模範)”、”Titan(巨人)”、”Genius(天才)”、”Innovator(先駆者)”、”Wizard(魔術師)”、”Champion(闘士)”、”Supernova(超新星)”。それぞれのカテゴリーの具体的なクライテリアは以下をご参照いただきたい。
SAP Innovation Awards 2023 Criteria
さらに受賞者の合計は30件。来年は、今年以上に多くの選りすぐりの取り組みのインサイトから、人がなすべきことを学べるはずだ。