「人間中心のアプローチ」で従業員のウェルビーイングを高め、持続可能なビジネスを創出するNetze BW
作成者:柳浦 健一郎 投稿日:2022年9月28日
欧州で進むIndustry4.0の現在地、注目される「人間中心のアプローチ」
「第4次産業革命(Industry4.0)」という言葉は、産業界でビジネスを行う社会人ならば、1度は耳にしたことがあるかもしれない。釈迦に説法かもしれないが、念のためおさらいしておきたい。水力や蒸気を活用した工場の機械化が進んだ革命が第1次産業革命、電気を活用して大量生産を可能にした第2次産業革命、ITを活用してファクトリーオートメーションが進んだ第3次革命、そして、IoT、ビックデータ、インターネット、クラウド、AIなどデジタル技術を活用して、経済価値を創出する時代が第4次産業革命とされている。もともと、ドイツが産官学連携して国際競争力を高めるための国家戦略であるが、ものづくり立国であるドイツの動きをベンチマークする国、企業が多く、1947年に始まったドイツ・ハノーバーの地で開催される世界最大の産業見本市「ハノーバーメッセ」では、Industry4.0の呼称が広く知れ渡って以降は、その最新状況を把握するために、多くの参加者がハノーバーの地を訪れるようになった。新型コロナウィルス感染症拡大前の2019年には、世界各国から21万人を超える産業界の人々で溢れかえっていた。しかしコロナ禍になり、ハノーバーメッセの物理開催も2年開催されず、2022年には3年ぶりに物理開催されたが、現地参加した来場客は2019年の約3割程度。残念ながら、我々は今を知るリアルの機会がかなり減ってしまった状況にいる。
そのために、コロナ禍になってIndustry4.0の動きが止まったのではないか?といった疑念すらちらつくようになったが、欧州委員会の発表からは、決してそうではないことが見て取れる。コロナ禍になったことで、サプライチェーンの分断問題が露呈し、働き方も変わることを余儀なくされた。さらには日本においても、2020年10月に当時の菅義偉首相が、「2050年を目途に、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」という脱炭素社会への所信表明を行ったように、各国で脱炭素社会に向けた動きが加速するなど、製造業を取り巻く環境は大きく変化している。このような変化を受け、欧州委員会が掲げたのがNext Industry4.0(Industry5.0と表現されている)だ。テーマはいずれもコロナ禍に起きた変化への対応である。
具体的には、サプライチェーンの回復力を高めること、サステナビリティへの対応、そして人間中心のアプローチの3つだ。
ひとつ目のサプライチェーンの回復力とは、サプライチェーンの混乱を最小限にとどめ、代替部品、代替生産、代替物流など、デジタル化を進めることで業務プロセスのエンドツーエンドをつなげる。更には経営と製造の現場までを垂直に統合することで、変化対応力を強化することに主眼を置いたものだ。
ふたつ目は、地球環境問題への対応を進めるサステナビリティである。投資家がESG(環境・社会・企業統治)に配慮する企業に投資する傾向が高まったことで、もはや企業が片手間で取り組むテーマではなくなっている。CO2排出量を抑える取り組みなどは、サプライチェーン上の企業が連携して解決を目指す重要なテーマになった。
これらふたつの重要なテーマと同じレベルで議論が進んでいるの、3つ目の人間中心のアプローチだ。AIやIoTなど、テクノロジーが進歩し自動化が進む時代、テクノロジーと人間はどのように向き合うべきか。人間がテクノロジーに合わせるのではなく、人間のニーズや利益を起点にテクノロジーを活用していくべき、という考えが根幹にある。Next Industry4.0が「人間」に焦点を当てていることは新たな視座であり、興味深い。Netze BW GmbH社(以降Netze BW)が取り組む「人間中心のアプローチ」は、まさにこの新たな潮流に則したものと考えてよいだろう。
Netze BW GmbHの概要と課題
Netze BWはドイツ バーデン ヴュルテンベルク州の最大の電気、ガス、水道のネットワーク会社である。全長約10万キロに渡り、低圧、中圧、高電圧の電力網を所有・運用し、200万人以上の地域住民に電力が供給されている。さらにガスと水の配給網も運営している。従業員4722人、訓練生(学生)595人によって、電気、ガス、水道が安定的に供給されるよう、24時間365日、休むことなく稼働している。
サービス技術者はNetze BWインフラビジネスの要だ。
Netze BWのサービス技術者は、公共インフラの保守を担当している。言うまでもなく、広範囲にわたる送配電網、ガス・水の配給網の保守は、200万人以上の普段の生活、ビジネスを支えるための必要不可欠な業務である。
ただし、限られた人員で広範囲のインフラを保守するため、ほとんどの保守作業はひとりで行われているのが実情だ。また、24時間365日の運用の中では、気候条件、時間帯によっては過酷な作業をせざるを得ない状況もある。灼熱の炎天下の作業もあれば、極寒の時期の作業、農村地域、山間部における豪雨、豪雪、夜間の作業と、過酷な作業状況は様々である。さらに、配電網、配給網の保守内容も多岐にわたり、作業タスクも非常に多く、保守内容に応じた保守パーツを適切に特定して作業を行う必要がある。保守作業者の管理者が作業現場にいないケースがほとんどであるが、作業時に事故や緊急事態が起きた場合は、従業員の生命を確保するために即座にアクションを採る必要がある。
Netze BWにおいては、過酷な環境下においてひとり作業の安全を確保しつつ、広範なインフラを守り続けていかなければならない。作業者の潜在的な負担は大きく、少しでも働きやすい環境を整えることが、会社としての課題となっていた。
サービス技術者に寄り添い解決策を模索
~デザインシンキング手法の活用とプロトタイプ構築~
どのようにしたら課題を解決できるか。Netze BWは、SAPがデザインシンキング手法を用いてイノベーションの取り組みをしていることを耳にした。ちょうど、ドイツのハイデルベルクのSAP AppHausにて、3日程度のワークショップを通じてプロトタイプを作り上げる、AppleとSAPが共同で行うサービス(Apple-SAP Mobile App Design Workshop)を知り、実施の方向でSAPと調整した。コロナ禍でなければ対面でAppHausの施設を利用しながら数名のチームを作り、ホワイトボードとポストイットを使いながらワークショップを進めるのだが、コロナ禍のため、TeamsとMURALを活用したリモート形式での実施となった。
ワークショップでは「家庭を持つサービス技術者」をペルソナにして、“Day in the life”、つまり、技術者のある1日の作業を明らかにしていった。ワークショップの参加者は、Netze BWのサービス技術者のみならず、IT技術者やSAPのメンバーも加わり、サービス技術者から説明された1日の業務に共感しながら、作業内容のみならず作業者の感情なども表に出して、課題を明らかにし、解決案につながるアイデアを形作っていった。
ワークショップの目的
Netze BW は、可能な限り従業員の安全衛生を強化*
*法律上の義務に限らず、健康と安全は従業員のやる気と幸福にとって重要な要素
サービス技術者の日常
- サービス技術者は、日々保全タスクを実行する中で、時には請求書の未払いが発生した場合には電源をオフにする作業も実施
- 大半の作業は単独で行われる
- 事故、緊急事象、または時間内に検出されない可能性のある脅威のリスクは常に残る(特に夜間の農村部作業)
明らかになった改善ポイント
- サービス要員を派遣し、そのジョブを効率的に編成する必要がある
- 現場では、業務を実行するために必要なすべてのデータにすばやくアクセスできる必要がある
- ジョブのステータスに関するフィードバックを提供し、損傷した構成品目などに関する情報を送信
- 安全な作業環境を提供し、Netze BW のサービス技術者の健康を確保
- 緊急の場合:緊急サービスおよび/または担当 Netze BW 部門の即時通知
- 損失時間、傷害率の削減
プロトタイプ
- iPhoneとApple WatchをSAPソリューションと組み合わせた複数のユースケースを導入し、労働力管理および安全衛生を改善する基盤の構築
- Apple WatchからSAPシステムへ、およびその逆方向で、現場のサービス技術者と中央の管理部門との間で、効率的な双方向データ交換を実装
- Apple Watchなどのモバイルデバイスを使用した、サービス技術者のハンズフリーユーザインタフェースを実装し、臨場感あるユーザーエクスペリエンスを創出
- 電力供給の中断が発生した場合は、自動アサインにより、適切なサービス技術者を即時に割り当て
具体的な安全衛生に関するプロトタイプ例
「Job Timer」
サービス技術者は、Apple Watchでタイマーを設定することができる。タイマーがキャンセルまたは延長されない場合、安全管制塔に通知され、救急隊への通知などの十分な措置を講じる。場所や期間などのApple Watchからの情報は、SAPデータベースから利用可能なジョブ情報とクロスチェックされる。
「落下検知」
サービス技術者が滑ったり倒れたりした場合、Apple Watchは自動的に救急隊に通知する。新しいアプリケーションはこの状況を認識し、さらに事故現場の状況について安全管制塔に通知する。
左からApple WatchによるJob一覧、Jobタイマー、オーディオレコーディング、各種ヘルスデータ。
安全管制塔からサービス技術者を管理する画面
プロトタイプのアーキテクチャ概要
メリットおよび成果
- 要員管理の効率が 48% 向上
- 従業員への支援の迅速化
- 事故現場でのダウンタイム削減
- モジュール型のアーキテクチャによる、将来のプロセス、システム、または領域の統合の容易性
- 緊急時に誰かが助けになることを知り、安全感を提供することで高まるサービス技術者のウェルビーイング
- 最新のデバイスとユーザエクスペリエンスデザインを使用することでの、モチベーション向上
Netze BWは、このワークショップを通じて構築したサービス技術者支援システムについて、独特の表現を使っているのが興味深い。
“Guardian Angel”
日本語で言うと“守護天使”“守り神”といったところか。夜間の農村部でひとり保守作業を行う不安なサービス技術者が、Apple Watchを身に着けることで、安全管制塔にいる担当と常につながり、どこで何の作業をどのくらいしているのか、リモートから見守られ、不慮の事故があってもすぐに対処してくれる安心感、安全感を感じる。たとえベテランでも、過酷な環境下でこのような“守り神”があると安心だ。デジタルネイティブな学生などの訓練生やジュニアにとっては、最新デジタル技術によって作業タスクも効率的に把握できる仕掛けや、何かあったときにでも、経験豊かな先輩からリモートから助けてもらえるユニークな仕掛けがあるのは、直接的な安心感だけでなく、従業員に対して全面サポートする会社、魅力的な会社として感じてもらえるのだろう。作業を行う「人」は、守り神のような存在を手にすることで、ウェルビーイングの高まりを感じる。
「人」は、過酷な仕事環境では、肉体的にも、精神的にも擦り減っていく。Netze BWの「人間中心のアプローチ」は、作業を行う「人」のことを第一に考え、最新デジタル技術を活用することで、業務効率化のみならず心理的不安を取り除き、安全で働きやすい環境の提供を目指している。不安なのは作業者だけではなく日常を共にする家族も同様だ。毎日安全に元気に、彼・彼女が家庭に帰ってくることを願っている。作業者およびその家族のことを思い、会社を上げて安全・安心な仕事環境構築に力を入れるのは、Netze BWが「人」こそが最重要な経営リソースだと理解しているからだ。SAP Innovation Awards 2022の受賞は、Netze BWの取り組みの、従業員への貢献度合いの高さを讃え、例年ハノーバーメッセに出展し、Next Industry4.0を熟知するSAPが、多くの企業にインスピレーションを与えることを願って選んだと考えてもいいかもしれない。
ひとり作業の仕事はあらゆる業界で増えていく
電力業界のような重要な公共インフラを管理する業界はもちろんのこと、リスクがあり不安を抱え、過酷な業務が存在する業界は他にもある。たとえば、老朽化が進む社会インフラの保守員や製造業の保守員など以外にも、介護や清掃、物流運送など、人手不足も深刻で、かつ過酷な仕事環境が誰にでも容易に想像できる。今後さらに労働力不足は深刻さを増し、ひとり作業の仕事はあらゆる業界で増えていく。そして、多くの企業や組織がNetze BWと同じ課題に直面するのではないか。「人」の幸せや健康の確保、つまりウェルビーイングを高めることは、持続可能なビジネス運営の生命線と言っても過言ではない。Next Industry4.0時代を見据えた実例として、Netze BWの「人間中心のアプローチ」が多くの企業の参考になることを願う。
*本稿はSAP Innovation Awards 2022公開情報をもとに筆者が再構成したもので、Netze BW GmbH社のレビューを受けたものではありません。