コロナとテレワーク、そしてBCP
日本では、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)の緊急事態宣言が解除されてから2カ月が経過した2020年7月時点でも、コロナ(第1波)と折り合いをつけて日々の生活や仕事をこなさなければならない状況が続きました。いつ第2波が訪れ、再びオフィスへの出社/出勤を厳しく制限しなければならない事態が起きても不思議はない──。そのような“異常事態”が続く中で、自社の基幹事業をどのように守っていくべきかについて考察します。

戸惑いの中で……
ご承知のとおり、コロナの第1波が日本を襲い、政府が緊急事態宣言を発出したことで、日本企業は半ば強制的にオフィスワーカーの働き方を、在宅勤務というテレワークにシフトさせる必要に迫られました。これにより、テレワークのためのIT環境を整備していなかった企業は、大急ぎで環境を整えなければならなくなり、急場しのぎ的に用意したIT環境があまり機能せず、従業員の生産性低下を余儀なくされるケースも多かったようです。
緊急事態宣言下のテレワークは、いわゆる「非常時における事業継続の施策」です。ですので、従業員の安全を守るのが最優先の命題で、その命題を遂行しつつ、基幹事業を一定のパフォーマンスで継続できることが大切と言えます。言い換えれば、この2つの課題がクリアーできていれば、業務パフォーマンスがある程度落ちたとしても問題はなかったわけです。
とはいえ、企業の中には、緊急事態宣の発出以前から全オフィスワーカーの働き方を在宅勤務へと早々に切り替え、かつ、普段と変わらぬ業務パフォーマンスを維持したところも相当数ありました。そう考えると、事態が発生してから、対処のための環境をあわてて整え、結果、環境が十分に整えられず、生産性を大きく落としてしまうという対応はやはり問題があったといえるでしょう。
「備えていなかった」はもう許されない!?
上のように言うと、「コロナの流行は誰にも予測できなかったはず。その対応に手間取るのは当たり前」と考える方も、いらっしゃるかもしれません。確かに、今回のコロナ流行のような災害が起きるとは誰も予測していませんでした。ただし、「オフィスへの立ち入り/通勤が不可能(ないしは、困難)になる」という事態がいつでも起こりうることは、かなり前から広く知られていたことです。また、それに備えた対策──つまりは、BCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)を整えることの必要性も以前から、そして幾度も指摘されてきた点です。
例えば、パンデミックの発生により、オフィスなどの企業の施設を閉鎖せざるをえなくなる事態が起こりうることは、いまから20年近く前に(2002年から2003年にかけて)世界を震撼させたSARS(重症急性呼吸器症候群)の発生・流行時にすでに指摘されていました。加えて、それ以降も日本では、大規模地震・大型台風・水害・大雪など、オフィスでの仕事が不可能になる、あるいは従業員がオフィスに出勤できなくなるような災害が数多く発生し、そのたびにBCPとしてテレワークを推進することの必要性が唱えられてきました。仮にこうした指摘に従い、有事への備えとしてテレワーク環境を整えておけば、今回のコロナ禍に対しても余裕をもって対応でき、在宅勤務体制下でも普段どおりの業務パフォーマンスが発揮できた可能性が大きいと言えます。
ところがコロナ以前の日本では、企業におけるテレワーク(在宅勤務、サテライトオフィス勤務、あるいはモバイルワーク)の導入率自体が19.1%と2割に満たない状況でした(総務省2018年『通信利用動向調査』による)。しかも、テレワーク導入企業の中で、「BCP対策(非常時の事業継続に備えること)」を導入目的に掲げるところの比率は15.1%でしかなかったといいます(図1)。

出典:総務省『令和元年情報通信白書』(同省「通信利用動向調査」各年版を基に作成された図)
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd124210.html
これをまとめれば、BCP対策としてテレワークの環境を整備しようとしていた企業は、2018年時点で企業全体の3%にも満たなかったということです。
このような状況の中で、コロナの緊急事態宣言が発出されたわけですから、対応に手間取る企業が多く出るのが当然だったと言えるでしょう。 もっとも、今回のコロナ禍を経験した以上、同様の事態に直面した際に、「想定外の出来事で対応が難しい」とは、もはや言えなくなっているはずです。あらかじめ練られた計画と準備されたIT環境をもって事態に対処できなければ、経験/失敗を次に生かせない企業として、周囲や従業員からの信頼を大きく失ってしまう可能性が高いのです。
生産性向上のためのテレワークとBCPとしてのテレワーク
ここで再度、前出の図1に目を転じてください。ご覧のとおり、テレワーク導入企業の導入目的として最も多かったのは、「生産性の向上」です。この目的の下でテレワークを導入しても、有事を想定してテレワークを導入しても、得られる結果は同じのように思えますが、結果に違いが出ることが間々あります。まず、生産性向上を目的にテレワークを導入しようとした場合、テレワークへの切り替えによって明らかに生産性が落ちると目される業務の担当者は、テレワークの対象から外されることが多くなります。また、業務の中で「紙」や「印鑑」をよく使う業務──例えば、総務・経理業務などの担当者も、「テレワークでは仕事にならない」という判断の下、テレワークの対象から外されてしまうことが間々あります。
それに対して、BCPを目的にテレワークを導入する場合、例えば「全ての従業員がオフィスでの勤務ができない事態が発生する」、あるいは「オフィスで勤務をさせると従業員の安全が損なわれるような事態が発生する」といった仮定の下で、事業を継続するためのテレワークの計画が練られていきます。
ちなみに、BCPでは防災計画とは異なり、災害ごとに細かくプランを決めるのではなく、災害がもたらす結果を想定し、それを起点に計画を練るのが有効で合理的とされています。そのため「パンデミックが発生し、オフィスへの立ち入りが不可能になった場合」といった仮定の立て方はせず、「(何らかの災害によって)オフィスへの立ち入りが不可能になった場合」といった、汎用性の高い仮定の下で、プランが策定されていきます。
この計画づくりにおいては、特定業務の担当者だけがテレワークの対象から外されるようなことはありえません。そのようなことでは全ての従業員の安全を守る計画とは成りえませんし、またプランのそもそもの前提が崩れ、汎用性の低いBCPになるからです。 したがって、BCPにおけるテレワーク対象者の中に、テレワークでの業務遂行が難しい担当者がいた場合には、その問題をいかにして解決するかがテーマの一つとなります。
例えば、ある担当者が業務の中で「紙」と「印鑑」を頻繁に使っているのであれば、その担当者をテレワーク対象から外さないためのIT施策の検討が始まります。具体的には、電子署名などのソリューションを使って、業務プロセスの全てをデジタル化する施策が練られ、遂行されることになるということです。
今回のコロナ禍によるテレワークにおいては、さまざまな企業で「紙」と「印鑑」を扱う業務の担当者が、緊急事態宣言下でも出社を余儀なくされるという事態が散見されました。言うまでもなく、これは有事の際に全従業員の安全を守るという観点から言って、本来的にはあってはならないことです。そして、BCPの一環としてテレワークの計画を練っていたならば、そうした事態が発生することもなかったはずなのです。
有事に強い業務設計
もちろん、オフィスワークをテレワークが可能な状態することが、BCPにおける業務設計の全てではありません。BCPにおいては、例えば事業の根幹を支える基幹業務の担当者が、何らかの事象によって、いきなり業務ができなくなるケースを想定しておく必要もあります。これは業務遂行におけるメインの担当者が、不測の事象によりその遂行責任を数時間、数日間、あるいは数カ月間、担えなくなった場合を想定した計画です。
この計画づくりにおいて、よく採用される手法は特定の業務について、サブ担当者(バックアップ要員)を指名しておき、メインの担当者による業務遂行が不可能になったときに、サブ担当者が業務を引き継ぎ、継続させるという方法です。この方法をとるうえでは、サブ担当者による当該業務遂行のパフォーマンスが、メイン担当者に比べて数割ダウンしても許容されるようにしておくことが大切とされています。
ITインフラのBCPにおいても、メインのシステムとバックアップシステムを用意しておき、メインシステムがダウンした際にバックアップシステムが処理を引き継ぎ、縮退運転によって急場をしのぐという方式がとられるケースがあります。業務の担当者としてメインとサブを用意しておくという考え方は、基本的にそれと同じです。
業務の標準化とシンプル化の効用
もっとも、ITインフラにおけるバックアップシステムはそれ専用のシステムとして機能し、平時は“スタンバイ”状態にあることが多いのですが、BCPにおける業務のサブ担当者は、組織の人的リソース上の限界から“専任のサブ担当者”ではなく、他に自分の本来業務を抱えながら、当該業務のサブ担当者を務めることになるのが通常です。ゆえに、平時からメイン担当者とサブ担当者が一つの業務をシェアしながら働き、有事の際も、業務の引継ぎがスムーズに行えるようにしておくことが理想ですが、現実的には、そうした体制を組むのは難しいと言えます。
そこで重要になるのが、個々の業務の標準化であり、シンプル化であり、業務の切り分け/分担の明確化です。
これを言い換えれば、一人の担当者の特別な知識やスキルによってしか回すことのできない業務をなくし、他業務の担当者でも、一定の知識とマニュアルさえあれば、その業務が(たとえ、パフォーマンスよく業務がこなせずとも)担えるようにしておくことが重要ということです。とりわけ、当該業務が停止することで企業活動が止まってしまうような基幹の業務については属人性を一掃し、メインの担当者が不在でもなんとか回せるようにしておくことが非常に大切です。
また、平時から業務間での情報の共有を図っておくことで、有事の際に特定業務のメイン担当者が不在になっても混乱が回避できるはずです。 さらに、このように情報の共有化や業務の標準化・シンプル化を推進することで、部門をまたいだかたちで業務全体の見通しがよくなります。その結果として、有事の際に従業員の一人一人が、自分はどう行動するのが適切か、どの役割を担うのが適切かの判断もしやすくなるのが通常です。
ちなみに、金融、ガス、水道、電気、エネルギー、小売など、社会のライフラインを担う業界の企業は、その規模の大小にかかわらずBCPの対策が進み、有事におけるライフラインを維持するために、従業員一人一人がどのような行動を取り、役割を担うべきかの理解が深く、また直面した事象に対して臨機応変に対処できるような判断力も養われている場合が多いとされています。
そこからは、ライフラインを担う企業の責任の重さを強く感じますが、実のところ他業界の企業であっても、その大多数が周辺社会の一員として機能し、かつ、何らかのバリューチェーンの一翼を担っています。つまり、大多数の企業の基幹事業は、顧客や取引先、周辺社会に貢献し、それが停止することで、負のインパクトが自社の従業員のみならず、社外に向けて広範に及ぶということです。その意味でも、全ての企業がBCPに対して、一層積極的に取り組むべきと言えるのではないでしょうか。